知識よりも感覚を深めるのがこれからのAI時代に大事なのでは論

 

ググればわかることを覚えておく意味ない

皆さんお疲れ様です

 

高原
高原

高原さと(@ART_takahara)です

 

 

最近思ってるのは知識を蓄積する事より、感覚を深めたりすることの方が大事っていうことです

今回の話はそれに関してです

 

タイトルに「AI」を入れたけど、特に関係はないかもと思った

 

前の記事の「脳内プロトタイピング」の話にも関連することですね

【エンジニアと人生】脳内プロトタイピングについて分析してみた
脳内プロトタイピングがすごい 皆さんお疲れ様です 高原 高原さと(@ART_takahara)です 皆さん 「エンジニアと人生」というラジオをご存知でしょうか ...

 

知識っていうものは、ここで扱うのは、言語や数値を使って他人と共有可能な情報のことです

Google 検索で調べたら出てくるような知識や、本を読めば書いてあるような知識

 

そういうものをこれから先、自分の頭の中に蓄積していく意味っていうのは果たしてあるのか

 

そんなに意味ないんじゃないかなー、と僕は最近思ったりしているんですよね

というのは Google 検索でほとんどの一般教養と呼ばれるものは検索できてしまいます

 

また本を読めば調べられることも多いし、そもそも多くの人が知っていることは自分の頭の中に入れておく必要がないと思ってるんですよね

 

漢字の読み方がわからなかったら、お隣にいる人に聞けばいいわけです

 

だってみんな知ってるんでしょ?

 

それで問題が解決してしまうのであれば漢字の読み方を覚えている意味っていうのはあるのかな?と思うんですよね

 

単なる感じの読み方なんて、日本を出たら一瞬で無意味になってしまうから

 

単なる知識ではなくて、漢字の成り立ちのエピソードとか、そういう表面的な知識以外のものを記憶しておく意味はあると思います

人って言葉人っていう漢字の読み方よりも

 

「人と人が支え合ってできています~」

 

とかそういうエピソードなら覚えておくのは、話のネタとして面白いから、まだ意味があるというような気がするんですけどね

 

それなら外国人に話してもネタになります

 

一方ただ単にググればわかることを覚えるのはホント意味ない気がします

 

 インターネットがこの先伸びていって、情報の蓄積と共有のスピードは速くなる一方だってことを考えると、いずれ(既に?)ほとんどの知識っていうのは検索すれば一瞬で出てくるようになると思うんですよね

 

もちろんその分野の最先端のトップの人しか知りえない情報はあると思うし、最新情報を更新しないと人類に進歩はないと思うので、知識を収集する人は残ると思います

 

ただトップの一部だけ

 

僕のようなほとんどの一般市民がやるべき事っていうのは、単なる知識を蓄積する事じゃないんじゃないかなという気がします

 

それよりも、「どうググればいい情報が出やすいか」とか「情報をどう組み合わせるか」とか「情報に対して自分がどう感じるか」

追求すべきはそういう情報の間をつなぐソフト的なことなんじゃないかなーと

 

で、ソフトとしての代表的なものが「自分の感覚」なんじゃないかと

 

知識よりも自分の感覚を深める

 

自分の感覚を深めるってことが、これから AI やネットが伸びていた時に、生き残っていくための方法なんじゃないかなと思うんですよね

 

なぜ感覚が強いかというと、感覚は人と共有できないからです

つまり、簡単に真似できないってことです

 

もちろんAIにもありません

 

自転車の乗り方とググったときに、

「目線は遠くに持っていきましょう」とか「最初は補助輪を付けて始めましょう」とか「こういう道具を使った方がいい」とか

これは「知識」です

 

他人と共有できる言語情報

 

これは一瞬で他人と共有できるので、自分だけの価値になりえません

 

一方で、「自転車に乗っている感覚」

 

これは他人と共有不可能です

「時速70kmで自転車に乗る感覚」であれば、さらに感覚を持っている人は少なくなります

 

 

「自転車の乗り方」の「知識」は言語で教えられても、自転車に乗っている「感覚」は教えられません

それは乗れる人にしかわからない、「できる人」しか知りえない情報です

 

個人レベルでは、それを深めるのが大事だと思うのです

 

で、幸か不幸か、今のところ個人の感覚というのは、その人が死ぬと永遠に消滅するはずです

ピカソが描いた絵は残っても、ピカソが何を思って絵を描いていたのかはわからない

 

本人のメモを読んだり、制作過程を見たりしてあれこれ予測はできますけど、結局それは「自転車に乗れない人」が「自転車の乗り方」を予測して言語化したものなので、本質的なものにはなりえません

 

言語化できない本物の感覚は、体を動かす本人以外に取り出せないのです

 

感覚を深めるってのの他の例としては、

例えば人の感情に対して共感できる能力を高める、とか

 

何の感覚を伸ばすかは、自分の好きなものとかから掘り下げるといいと思います

音を聞く能力とか、食べ物の味を感じる能力だったりとか

 

「カレーは辛い」

 

この情報には何の本質的な価値も情報もありません

つまり覚えておいても意味はないです

 

じゃあ何を覚えていればいいのかっていうと

「カレーを食べたときの感覚」とか、自分にとって「辛い」ってなんぞや?ってことです

 

これは人と共有できず、また人から与えてもらうこともできない情報です

 

日々の生活で、自分の感覚を他の人がたどり着けないレベルまで高める

そうすれば自分の価値も自然に高まっていく気がします

 

たぶん何のことか全然わからない人も多いと思いますが、こういう自分の感覚を伸ばしていくのが、最近の僕のブームです

 

感覚を研ぎ澄ませていくってことが、これから先、技術とか知識 、AI が伸びてきた時代において大事になってくるのかなと思います

 

ではでは

 

高原さと

 

今日の1枚

最近はいい調子です

ようやくデジタルとアナログを同じ感覚で描けるようになってきました