AIや道具に使われないために絵描きの自分が考えたこと

 

はい高原です。

 

今日は道具とどうやって向き合っていけばいいかっていう話をしようかと思います。

 

 

道具を使うのは邪道?

 

 

絵だけじゃなくて 、CG にしても、プログラミングにしてもデザインにしてもいろんなツールが発達してきてますよね。

ソフトとか。

 

昔は紙とペンでデザインなんかは作んなくちゃいけなかったわけですけども、今はペンタブ出かけるしフォトショップにはフィルターもついてるしコピー&ペーストもできるし。

 

えっとまぁそれだけでなくてね、 3DCG なんてものが出てきたりとかして、、、。

はい、もう道具の進歩もめざましいわけですよ。

 

 

あの、これからね AI とかも出てくるんで。

まあそういうの上手く使ってビジネスとかをやろうとしてる人が色々出てくるはずです。

まあそれを見てね、「あいつは道具に頼っているから、本当は大したことない」とかというやつが出てきます。

 

 

「道具の使い方が上手いだけで、それはあいつの本当の実力じゃない」とそういう風に批判する人がいるんじゃないかなと思うわけです。

 

絵に関して言うとですねちょうど今朝こんな感じのツイートをしました Photoshop の機能とかを使うと結構楽に絵がかけるよ、みたいな感じのツイートですね。

 

えっと炎と氷と、あと岩の描き方、みたいな感じの説明をしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

道具に頼ってると絵は上手くならないっていうのは本当なんですよ。

道具に頼ってるだけじゃね。

 

 

他のソフトでもそうなんですけど。

 

でもね、画力がなくても絵を作れるということは、「絵」という道具は、もはやその人には必要ない道具だとも考えられるわけです。

 

 

上記のツイートに関しては、実際少し画力も必要ですし、画面を作る力とか想像力ってのはやはり必要になってくるかなと思います。

 

やって見た人わかると思います。

Photoshopの使い方を知ってるだけで、初めて行って同じものを作ってのはちょっと難しいと思います。

 

 

自分の意見としては本質的には道具は関係ないんじゃないかなと思っています。

 

関係ないっていうのは、要するに何を使おうがダメなやつはダメだし、上手い人はうまく作れると言う話です。

 

自分はそう思います。

道具がなければあいつは何もできない」って思うかもしれないけど実際結構出来たりするんですよね。

 

 

作りたいものに合わせて道具は変えよう

 

 

 

 

結局なんだろうな、道具は道具なんですよね。

 

なんで、何を作るにしてもやっぱり 道具の方がすごいんじゃなくて、使う人の想像力とかその発想がモノを言うと思うんです。

 

あのね 、CG にしても絵にしても、ソフトの使い方を覚えただけじゃ何もできませんよ、本当に。

 

思いつかないんですよね。

だから何も作れない。

 

多分 AI とかが出てきたとしても、同じだと思います。

 

道具を使えない人 、AI を使えない人は使えないし、使える人はものすごく良いものを作るはずです。

 

土に書いていたのが木の板に書くようになって紙に書くようになって髪が印刷できるようになって写真が撮れるようになって映像が撮れるようになって CG ができるようになって今度は AI が出てきて VR が出てきてと次々と新しい表現方法や技術道具は出てきます。

 

 

形の持つ結局は使う人の力量次第。

いつの時代も多分いいものを作る人はその時代にあった道具をただ使ってるだけだと思います

 

それよりも自分が何を作りたいか

自分がどんな価値を生み出したいのか

 

 

ということに重きを置いてそのために最適な道具はその時代の中にあるものから選択しているにすぎないです。

 

なので道具を使うことができることや、その道具自体がすごいんじゃなくてその人の発想がすごいんだよっていう話ですね。

 

 

そういう人は別に道具がどんだけ進歩しても滅びないと思いますね。

 

逆に AI とかの進歩で滅びてしまう人は道具に固執している人だと思いますね。

 

 

 

 

僕は絵っていう表現自体も広い意味で道具だと思っていて。

 

今は絵という道具で面白いものが表現できると思ってるから使ってますけど。

 

 

 

でも 自分が作りたいものはCGでもできるって言うことが最近わかってきて。

 

そうすると今度は絵よりも CG っていう道具に興味が湧いてくるわけです。

そういう風に、その作りたいものに合わせて道具は変えていくべきだと思うんですね。

 

 

 

ただその道具自体を目的に据えてしまっている人は、時代が進んで、その技術や道具が古くなってしまった時に、滅びてしまうのではないかなと思います。

 

 

例えば今の4輪自動車を作ってる人がいたとして、もしかしたらその人は「俺は自動車だけ作りたいんだ」「自動車を作るために生きているんだ」って思っているのかもしれない。

 

けど本質的には自動車ってのは、ただの人間が移動するための道具であると。

 

そういう発想があれば、もしもっと簡単に空を飛べる技術が出てきたときに、空を飛ぶ車を作れるわけです。

 

けれども、既存の4輪自動車っていう道具に固執してしまうと、新しい技術や道具が、まるで偽物のように見えてきてしまうのかも。

 

それを使った人はズルしている、みたいな発想になったりとかね。

 

 

 

まとめ(られない)

 

 

ちょっと話がとっちらかってきたんでまとめると、自分がやりたいことは何なのかっていう、その本質を見極める必要があるんじゃないかなと。

 

それが道具にとらわれないものづくりをする秘訣なんじゃないかなと、思ったり思わなかったり。そんなことを考えてみました。

 

AIも早く伸びてほしいね。

仕事が奪われることに怯えるっていうより、もっと面白いモノが出てくることにワクワクするくらいの度量がほしいよ。

そもそも仕事なんて概念が不要なものだと俺はおもうので、AI使って遊べばいんゃないでしょうか。

 

良い道具ができて、それを上手く使うことができれば世界はもっと良くなると思うので

 

はい。

ちょっと後半に話がね、わけわかんなくなってしまいました。
もうちょっとまとめたいですね。

 

すいません。

 

えー文章がアレなので、、ちょっとずつこれから改良していきたいと思います

 

ではでは

高原