*この記事は高原さとのVoicyの「#26 (辛口回)上手下手と、やるやらないは別問題」を参考に書かれています
絵が下手でも描くかどうかは自分で決められる
みなさんお疲れ様です。
高原さとです。
今日はですね、描くかどうかは自分で選べるよというようなお話をしたいと思います。
今回は、ちょっと辛口というか、若干厳しめな内容になってしまうかもしれないんですが、ご了承くださいと。
要するに絵が描けないのはあなたの選択の問題であって技術の問題ではないということですね。
なぜかっていうと、描くかどうかって自分で選べることじゃないですか。
上手く描けるかどうかは別の話なんですけど、
その瞬間には上手い下手って変えられないじゃないですか。
絵に限らずなんですけど。
別にそのスポーツとか、そういうようなところでも別に技術はその瞬間には上手くならないじゃないですか。
だんだんと上手くなっていくしかないんで。
でも、それをこう、どういう取り組みをするかとか、やるかやらないかみたいなところは自分で選べますよね。
っていうことを考えると、下手だから描けないっていうのは描けない理由になってないなと思うんですよね。
こういうのは言葉を胡麻化してる。
自分をだましてるっていうことだと思うんですけど。
要するにね、描けないんじゃなくて描いてないだけなんですよ。
自分で描かないっていう状態を選択しているっていうことに気づいていないと、やっぱり上手くなっていかないですよね。
別に例えば、モチーフ別に考えても、例えば人物は描けるけど背景は描けないんだよねみたいなことをいう人がいるんですけど、描けるよって思うんですよね。
描けないんじゃなくて描いてないだけでしょっていうふうに思っちゃうんですよ。
かなり厳しい言い方にはなってしまうんですけどね。
僕は今、アニメ私塾っていうオンラインサロンに入っていろいろ勉強しているんですけど、そこの代表の室井さんっていう方も同じことをすごくおっしゃられていて、描ける描けないじゃなくてやってないだけでしょとか
やったことないだけでしょというようなことをいつもおっしゃっていますね。
自分で選んでいるにも関わらず、それを外部要因に、何か自分に責任はないように、自分は才能がないからとか自分は絵が下手だから
だから絵が描けないんだというようなことを言いたくなることがあるかもしれません
しかし、別に下手でも描けますよっていうことを言いたいですね、僕は。
実際僕は絵がそんなに上手くないですが、毎日絵を描いています
上手く描けるかどうかは別です。
上手く描けないっていうんだったらわかるんですよ。
でも、描けないっていうのはそれは、自分が描かないという選択をしているだけの話なんで。
ま、もちろんね、こう言ってて自分でもよくそういうことやっちゃうんですよ。
俺はこういうタイプだからとか、俺はこういうのが得意だからとか、そういうことを言って苦手なことから逃れようとしている人はよくいます。自分も含めて
でもそこで、
あ、描けないんじゃなくて、今まで描いたことないから逃げようとしているだけだ
とかいうふうに自分で気が付けたら一番いいですよね
僕もつい逃げたくなってしまうので、なかなか難しいですが
いろんな機会でそういうケースはあるんですけど。
でもそもそも人間って、やっぱり最初は何もできなかったはずじゃないですか。
絵だって最初から描けたわけじゃないし、誰しも初めてやった瞬間っていうのはあるわけじゃないですか。
で、瞬間とおんなじようにものに取り組めばいいはずなんですよ。
そうすればできないって発想にはならないと思うんですよ。
やることはできると思うんですよ。
だけど、なぜかね、守りに入ってしまうというか、しばらく経験を積んだりしてくると、
自分はこれができないんだ
みたいなこととを言い始めるんですよ。
できないんじゃなくて、それやってないだけでしょっていう現実を自分に突きつけてやると、そこでもう一歩が踏み出せるかもしれないですね、
描けない描けないって言ってるとどんどん時間だけが過ぎて行っちゃうんで。
でも、まず一回だけでも具体的な形にしてみると、実際に絵にしてみると漠然と描けないと思ってるんじゃなくて、上手く描けないっていうことになるじゃないですか。
そうすると、その出来上がった絵を見れば、どこに問題があるのかとかを検証できるので、次に繋がるじゃないですか。
描けないできないとか、そういうことを口癖のように言っている人はですね、それは自分がやらないという選択を毎回しているだけなので
自分を胡麻化しているっていうことを気づいていればいいんですよ。
俺は本当は描きたくないんだと
描きたくない、だからやらない
そーいうふうに思えている人はいいんですけど。
さも自分は悪くないというような感じで、才能がないからとか、下手だから俺はやれないんだ
というようなことを言い訳に使わないようにした方がいいかなと
そういうようなことを愚かな自分に言い聞かせて僕も毎日絵を描いております。
自分で選べることと選べないこと
この話ってね、別に絵に限らず本当にいろんな場面であるんですよね。
最近この辺はもう結構僕も意識するようにし始めて。
自分が選べることと選べないことっていうようなことを意識するといいかなっと思いました。
そうするとね、どこまでが自分の責任で変えられたかもしれないことなのか、どこから先はどうしても変えられないというか、仕方なかったことなのか
「嫌われる勇気」っていう本にも確か書いてあったと思うんですよ、似たようなことが。
シチュエーションが違ったと思うんですけど、言ってることはきっと同じだと思うんですけど。
要するに、自分が変えられることと、どうしようもないこととをちゃんと分けようね、って話でした。
他人の感情とかは自分では仕方ないことだから、そこにはあんまり悩まないようにしようみたいなそんなことが確か書いてあったと思うんですけど。
それは本当にそうだと思います
要するに、自分が選べることは何なのかっということをちゃんと意識する。
自分で選べたはずなのに選ばなかったというのは自分の責任なんだということに気づけるかどうかですね。
絵に限らずだと思うんですけど、大体の技術ってやっぱり訓練していれば結構なレベルまで伸びると思うんですよ。
僕そんなにたくさんのことやってるわけでもないんで、わかんないんですけど。
僕高校の時ね、卓球を結構頑張ってやってたんですけど。
卓球やってた時の経験とか勉強していた時の考え方とか、絵を描いてる時の考えとかを混ぜた時に、何かを選んで行動してそれを積み重ねていったときにたどり着ける領域って決して低いレベルではないなと思うんですよね。
ではなぜ、歴然と差が付くかっていうのは、実際に「何を選ぶか」の違いだと思うんですよね。
やるのか、それともやめとくか
上手くなっていく人は、要するに
絵を描くっていう行為を、毎日毎日ちゃんと選んできた人だと思うんですよ。
ただ選んできた人だと思うんですよ。才能とかじゃなくてね。
絵を描くっていうことを選べること自体が才能だっていう人もいるかもしれないですけど、それはちょっとさすがに人間の可能性を放棄しすぎじゃないかと思うんですよね。
だって、目の前に紙とペンがあった時に、もう絵が上手かろうが下手だろうが、それをその場で描くかどうかって自分の選択肢で選べるじゃないですか。
やるかやらないかって。
それは別に誰にも門が開かれてると思うんですよ。
そういう意味で言うと、別に絵はだれでもそれなりに上手くなれるんじゃないかなっと思うんですよね。
少なくとも描くことはできると。
その描くっていう選択を積み重ねていけば、必ず少しずつうまくなっていけるのかなと
そういうふうに思いました。
一方で、上手く描けないとか上手くなれないっていうような悩みは、絵描きでもそうだし、絵描きだけじゃなくて、何か結果が出せないとかそういうことは常について回ると思うんですよ。
なんかのテストでね、上手く点数がとれないとか、大学に合格できないとか、内定がとれないとか
そういうのって少なからず外部的な要因が関わってくるじゃないですか。
そうすると最善の選択をしても力が及ばない範囲っていうのが絶対出てくるんですよ。
ちょっと運の要素が入ってきちゃったりとか
何ですかね、周辺の、例えば入試とかだったら周りの人がどれぐらいできたかによっても変わるじゃないですか。
内定とかでも倍率とかがね影響してくると思うんで。
そういう時はあまりそこに悩みすぎない
それは自分じゃ選べないから
そこに悩んでも結局何も解決しない、というか、やることは変わらないんだと思うんですよね。
やることは結局自分が選べるものを選ぶだけというような感じだと思うんで。
例えば、絵だったら、上手くなれなくてプロになれないというふうに悩んだ時に、そこで取るべき行動って結局その「まだ続けるか、もう辞めるか」っていうことだと思うんですよね。
シンプルに。
自分が選べるとこってそれだけじゃないですか。
他人からお金がもらえるかとかってそれは外部的要因なんで。
自分が何をするか、これからも続けるのか、それともそこでやめるのかっていう選択肢は、目の前にあるっていうような気持ちで
それを自分は常に平等に選ぶことができるんだっていうふうな気持ちでいると、かなり自分の選択肢と可能性が広がるんで、道がどんどん狭まっていく感じがしないと思いますね。
結構プロの人とかでも、どんどん道を狭めていっている人はいます。
技術が伸びていっているにも関わらずね。
別に技術が伸びていっても、例えば絵がすごく上手くなったからって、別に他のこともしていいと思うんですよ。
したかったらすればいいと思うんですよ。
CGがやりたかったらやればいいし、全然文章が書きたかったらまた文章とかやればいいと思うんですけど。
何かね、なぜかそれを、できないとか、もう遅いとか
そういうふうなことを言い始めたりする人がいますね。
それってすごく可能性を狭める行為だなと思うんですよ。
やらないっていうんだったらいいんですよ。
俺はそれはやらないと、俺の人生ではそれはやらないんだっていうふうに自分で選んでる感じがあるんだったらいいんですけどね。
そうじゃなくて、上手くないからできないとか、やりたいけどできないとかっていうことを言っちゃうと、技術が伸びていったりとか成長していくにつれて、むしろどんどん選択肢が狭まっていってしりすぼみになってしまうんじゃないかなっと思います。
選択は常に平等だと思ってていいと思います
平等っていうかどの選択肢が配られるかは、選べない選択肢ももちろんあるんですけど。
でも、やるかやらないかっていう目の前に出てきていることに関しては少なくとも自分で選べると思うんで。
ボタンが目の前にあったらね、ボタンを押すか押さないかっていうことは自分で選べることなんで。
そこは常に、自分を胡麻化さずに、自分で選んでいるんだと。
自分で選べるところはいま何なのかということを意識して、で、やらなかったときは自分で意図して俺はやらないっていうふうに決めたから、別にいいんだっというふうな気持ちでいると気持ちも切り替えれるんで。
ずるずるあれができないこれができないというようなことに悩むこともなくなるかなと思います。
いやそれは俺はやらないんだというふうに思えるはずなんですよね。
やらないから、別にそれは必要ないんだというふうに思えると思うんで。
そんな感じで自分で選べることと選べないことっていうのを意識してみるといいかなと思いながら今日は生きていました。
おわりのあいさつと補足
はい。みなさんいかがでしたでしょうか。
今回は上手い下手は別として描くか描かないか、やるかやらないかは自分で選べるというようなお話をしてみました。
そうですね、結構ドライな感じというか、身も蓋もないというか厳しい話に聞こえてしまったかもしれないんで、ちょっとそのへんは申し訳なところもあるんですけど。
僕は結構、自分に厳しいときと、テキトーなときとの差が激しいのです
なんか気楽にやろうぜ的な回もあったと思うんですよ
ストレスを抱えてしまわないように、あんまり自分を追い詰めないように
俺は悪くねえっていうふうに思う考え方と、今日みたいに、いやいや全部お前のせいだろっていうような考え方
そういう感じで考え方を複数用意して、自分の精神状態に合わせて選択するといいのかなと思っています
自分が今最近停滞しているなとか、最近挑戦とかあんましてないなっていうような時には、今日いったような考え方で、自分に現実を突きつけるというようなスタイルでいってですね。
結構最近頑張りすぎていろんなことに挑戦しているけど上手くいかなくて潰れそうだ
っていう時は、自分は悪くなくて、手段が悪かっただけだというような、たまたま手段が悪かっただけだからそこを改善していけば問題ないとか
別に下手でも死なないとか
そういう感じの気楽なマインドセットの方に切り替えるっていうような感じの方針でやっています。
はい、じゃあ今日はそんな感じです
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お絵描きに役立つ講座や考え方に関するメモをまとめたものです
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ではではまた~
*この記事は高原さとのVoicyの「#26 (辛口回)上手下手と、やるやらないは別問題」を参考に書かれています