絵の上手い人と比較して落ち込まないために心がけていること

 

*この放送はVoicyの「#27 上手い人と比較して落ち込まないために」

を参考に書かれています↓

 

誰かにできることは、時間をかければ自分もできる

 

みなさんお疲れ様です。

 

 

高原
高原

高原さとです。

 

今日はですね、他人と比較して落ち込まないための考え方についてお話ししたいなと思います。

 

この問題はね、本当に何回も何回も繰り返し語られてきて、ネットでもよく話題に出ることであります

 

どんな絵描きでもそうだし、絵描きじゃなくても一度は悩んだことがあると思うんですよね。

 

他の人の絵を見て、ネットとかで見て、あっこの人すごく上手くてうらやましいな、うらやましいなーとか、そういうのならいいんですけど

 

上手い人に比べて、自分はなんて下手なんだろうとか思ってしまったりとか

 

もしくは自分より年下の人がいて、自分が30歳ぐらいだとしたら、まだ高校生ぐらいなのに自分よりも全然上手いみたいな人を見て、自分はなんて駄目なんだろうみたいなことを思ったりとか。

 

 

他のことでもいろいろありますよね、他の人に比べて収入とか、例えば資格とかね。

 

他の人は資格もってて、色んなことができるのに自分は何にもできない

 

とかね。

 

そういうことに悩んだりすることはあるかなと思います。

 

今回はそういうようなテーマについてお話ししたいんですけどね。

まずですね、僕が一番こう思うようにしてるっていうマインドセットですね。

そういう話をするんですけど。

 

僕がいつも思ってるっていうか信じていることは、他の人がすでにできたこと、すでにやったことっていうのは時間をかければ自分も必ずできる

 

と、いうふうに僕は考えるようにしています。

 

考えるようにしてるっていうか当たり前の話なんですよね、これは。

 

当たり前の話なんで、他の上手い人がいたとして、その人はただ単に自分より先にやっていて、やった量が多かっただけ、自分がやってないことをやっただけ。

 

なんで、ある意味、すごくないっちゃすごくないですよね。

 

別に手足も二本ずつだし、目玉も二個ついてるじゃないですか。

自分も同じパーツは揃ってるわけじゃないですか。

なんで基本的にはね、同じことが再現できるはずなんですよ。

絵なんて特にね、身体能力がたいして影響しないんで。

 

例えばバスケットボールとかだったらね、背が高くないとなかなかダンク決めるってなかなか難しいのかもしんないですけど。

 

絵とか勉強とか、普通の社会で必要とされている能力っていうのは大体、自分のすでに備わっている身体機能で大体できるようになれることだと思うんですよね。

 

その人が、そのすごいなって思って自分が落ち込んでしまうような人がね、翼生えてるとかね、角が生えてるとかね、腕が三本あるとかだったら、ちょっと無理かなって思いますけど、手足二本ずつで、目玉二個ついてるじゃないですか、二個ずつじゃないですね、二個ですね。一個ずつですね左右に。

 

ついてるわけなんで、別にそれは、自分もやり方を真似すれば自分もできるようになると。

 

その人だって生まれた時から上手かったわけじゃないんで。

 

というようなことを、自分は思うようにしています。

(あくまで考え方としてです。実際にはどうしても再現するのが難しいことはあると思います)

 

むしろ、自分はその人よりも早く上手くなることができるんですよね。

ていうのは、先人がいるってことは、先人はね結構いろいろめんどくさいことをやってくれてるっていうようなふうにも考えられるんですよ。

 

大体ね、最初の方にやってる人ってすげー効率悪いことやってるんですよ。

 

例えば自分よりちょと先をいってる人とかでも、自分その分、参考にできる量が少ないわけじゃないですか。

 

例えば時代的に早かったとしたら、ネットとかね、なかったような時代とかだったら特にそうですよね。

昔の絵描きさんはさぞかし大変だったでしょう

 

そういう人たちが上手くなってきた時に比べたら、自分はその人たちを見ることができるわけじゃないですか。

 

どういうところに苦労したか、とか質問できるたりとかね、するわけなんで。

 

少なくともその人がかけた時間よりは確実に自分の方が速く同じ領域にたどり着けるていうふうに普通に考えればそうなると思うんですよね。

 

最初の方に、先に上手くなってくれた人はすごいなーと思いつつ、いろいろめんどくさいこととか効率悪いこととかいっぱいやってくれて、いろんな解決策を用意してくれているというふうにも考えられるなと思うんですよね。

 

だから、そういう人たちはむしろ感謝してですね。

 

高原
高原

ありがとう先に上手くなってくれて

 

という感じで、じゃ僕は楽して上手くなりますって感じで、その人がやってきたことの中で効果的だったやり方とかを真似して追いかけていけばいいんじゃないかなと思います。

 

年下でね、自分より上手いとかね、自分より若いのにすごい人がいるみたいな時も、それって要するに大して時間をかけなくてもできるってことなんですよ。

 

ってことは、要するに、なんかコツをつかんで、ポイントを絞ってたぶん集中して訓練すればすぐにたどり着けるというようなことを、その年下の人は証明してくれてるわけなんで。

 

そこはね、臆せずにどうやったらそんな上手くなるのとか聞いてみてね。

 

色々聞いてみてもわかんない時もあるんで、そこはね、いろいろ観察してね、いまネットがあるんで本当にいい時代だと思うんですよね。

 

他の人がどういうことをやってきたのかとか、どういう頻度で物を作ってるのかとかもすぐに調べられたりとかして、それのサンプルもいっぱい集められたりもできるんで。

 

落ち込むっていう感覚はよく考えるとおかしな話です

 

その話は次すると思う、次のチャプターでしようかと思うんですけど。

別に、その技術だけを比較するんだったらそもそも大した差はないと思います。

やったことが違うだけ、あとやってた時期が違うだけなんで。

 

そこは別にね、自分も同じ、全く同じことをなぞるまでもない、全く同じことをやるまでもなく上手くなれる。その人と同じところに行くことができると思うんで。

 

そういうふうな発想で。

この人にできてるんだったら、自分もできるだろうというような発想。

で、漠然と思うんじゃなくて、具体的にここで考えた方がいいと思いますね。

 

先人ががやったことを観察して、具体的にそれを突き詰めていくと、やっぱり人間がやれることしかやってないんですよ。

 

なんでそれをちゃんと理解する。

 

それを理解しないで表面的に見ちゃうと、なんか漠然とめちゃくちゃすごいみたいな感じで見えちゃうんで。

 

そうじゃなくて、細かく分解していって、毎日どういうことをやってるかとか、そういうこと考えながら調べたりとかして、自分の方法論に落とし込んでいけば、落ち込むよりもね、むしろラッキーっと思って

 

あ、こうやってやればいいのかというふうな感じで、どんどん吸収していけるかなっというふうに僕は思っています。

 

むしろどんどん比較しよう、でも・・・

 

 

でですね、こういう質問というか、こういう悩みがあった時に、これに対するアドバイスとして

 

他人と比較するのはやめましょう

 

とかいうアドバイスをしてる人がいるんですよ。

 

これは僕的には、ちょっとあまりいい発想ではないなと思っています。

僕自身はむしろどんどん比較すべきだというふうに思っています。

 

なぜならさっきの話でいくと、やっぱりその、具体的に、同じ人間がやってるんだから、何か実際に行動してそれを積み上げていったはずだから、実際それは何をやってきたのかということを具体的に掘り出していく必要があるんですね。

 

その過程で自分や他の人と比較するというのは必要なプロセスかなと思ってます

 

もし自分に多少経験があって、その人と比べてどういう技術に差があるのか、下手つっても具体的にどこが悪いのか

 

どこがどう下手で、それはどういう要因でそういうふうになってるのかっていうことを事細かに調べて考えてみて、それを明らかにしていく必要があるんで。

 

どんどん比較していかないと伸ばしていくっていうのは難しいと思うんですよ。

 

比較せずにね、あなたにはあなたの良さがあるからとか、個性を大事にしましょうとかね、

 

そういうのなんかちょっと狭いですよね。閉じた発想になってしまうんで。

 

そんなこと言ったら別にもはや何もする必要ないじゃないですか。

 

そうじゃなくて、確かにあなたはあなたの良さがあるって言ってそれでいいんだったらいいんですけど、でもそれで落ち込むってことは自分でもっとうまくなりたいってことじゃないですか。

 

上手くなりたいんだったら、そこで、そこはなんていうか思考停止ですよね。

本当は上手くなりたいっていうのを押し殺してね、いや俺はこれでいいんだっていうふうに言い聞かせてるわけですよ。

 

それはあんまりよろしくないと思うんですよ。

 

他の人の作品を見ないようにしようとか、そういうのもあんまりよろしくないかなと僕は思っています。

 

そういう感じで、他の人のものとかを閉ざしたりしているとどんどん孤立していってしまうんで、成長が止まってしまうかなと思います

 

なので比較はどんどんどんどんすべきかなと思います。

 

ただね、ここでやっぱ落ち込まないコツっていうのはさっきのね、他の人ができたことは自分もできるっというふうな発想と、上手い人が何をしてきたのかっていうのを明らかにするっていう考え方かなと

 

あともうひとつおっきな部分であるのが、他人が上手いとか下手とかってことと、自分がどうこうっていうのは何の関係ないってことですね。

 

思うことっていうか関係ないんだと思うんですよ。

 

結構関係ないことにみんな苦しんでいるような気がしています。僕が見ている感じね。

みんなっていうのはよくないですね。

そういう比較して苦しんでしまう人は。

 

冷静に考えてみて、自分の隣にめちゃくちゃ上手い人がいてね、自分の隣に宮崎駿がいたとしても、別に自分の絵が下手になるわけじゃないじゃないですか。

 

自分の隣に宮崎駿がいた時と、宮崎駿がいなかった時でも自分は別に絵の上手さ変わってないじゃないですか。

逆に自分の隣に幼稚園児がいて、下手な絵を描いていたとしても、自分の絵は上手くならないんですよ。

 

その時点の実力は常に同じじゃないですか。

 

本来は周りの人がどうかとかいうのは自分に何の関係もないはずなんですけど、それを見て落ち込んでしまうのは、比較しているからじゃない気がするんですよね。

 

比較しているというよりかは、自分を何か同一視してる、他人と同一視してる。

いや違うな、あれですね、むしろあれですね。

 

自分の悪い所とかを見てないんだと思うんですね。

むしろ表面的な部分しか見てないんだと思います。

 

他人のその上手い人のことも、どこが上手いかとかも見てないしね、自分がどこが悪いかっていうのも見てないんで。

 

悪いというかね、どういう違いがあるかっていうポイントに注目すれば、別にそこでなんか落ち込むことってないと思うんですよ。

関係ないと思うんですよね。関係ない。

 

その人が上手いかどうかと自分がどうこうっていうのは。

 

下手でも売れたらいいとか、下手でも売れるから大丈夫みたいな、下手でも人気があればオッケーとか、そういうことを言ったりする人もいるんですけど。

 

いやいや人気があるとか、そもそも上手い下手とかの呼び名ももはや関係ないと思うんですよ。

 

自分の状態にどんな呼び名をつけようと本質的にはそれってなんも変わってないじゃないですか。

 

自分のある時点においての自分の状態は変わらないんで。

 

そこに対して誰かに上手い下手とか言われたとかねそういうのもそうですし。

なんと呼び名を付けられようと、もしくは他の人がどうだろうとある時点の自分の状態は変わらないんで。

 

そこを何か落ち込んでしまうというのは、自分の状態をちゃんと把握できていないからかなっというふうにも思ったりしますね。

 

 

この辺は昨日の自分が何を選択できるかっていうところをちゃんと考えようみたいな話と近いかなっていうふうにも思うんですけど。

 

他の人がね別に上手いかどうかとかすごいかすごくないか金持ちか金持ちじゃないかとかね、そういうのとかと自分の状態は関係がないし。

 

別にその人がね隣にいたからといって自分が選べる選択肢が狭まるわけでもないんで。

そこをこうきちんと切り分けるっていうことが大事かなと思うんですね。

 

切り分けるんだけど、なんか殻に閉じこもらない

自分には自分の良さがあるみたいなそういう話じゃなくてね。

 

自分は自分で違うものだと関係ない別のものだというふうに考える。

でそれが考えられないということは自分のことが、状態とかをきちんと見られてないと思います。

 

他の人の作品を見て落ち込みたくないからツイッターもやらないし、pixivのランキングとかも見ないみたいなね。

 

いや見る前と見た後で、別にあなたの絵の力量は変わってませんよっていうことなんですよ。

 

ちゃんとそこを気づければ別に落ち込む必要ないんで。

 

落ち込む必要がないっていうか、落ち込むのはおかしいということにちゃんと気が付けると思うんですよ。

 

なんでね、だからちゃんと比較はする、具体的に比較はするんですけど別に違いを見るだけで別にそこでね自分が劣っているとかそういうふうに思う必要はないです。

 

ただ単にそのものを選んできたタイミングが違っただけ。

もっというと、別に宇宙とか神様レベルで見たら、なんかもう、絵が上手いとか金持ちとか超どうでもいいと思うんですよね。

 

どっちだっていいていうふうにも思えるなということを考えたりもします。

関係ないどころかね。

 

大差ないじゃないですか。別に。

 

絵が上手い、絵が上手いって言われてるけどそもそも絵が上手いってなんぞやみたいな。

 

違う絵を描いてるのは間違いないけど、上手いかどうかっていうのは果たして本当に上手いのかっていうのはね、疑問だったりしますよね。

 

だから、比較してね、どう違うのかって、でその違いは何によって生まれてるのかっていうことを考える必要はありますけど、別にね他の人が上手いからとか下手だからとか、それによって自分のね何かが変わることはないということはちゃんと安心してね。

 

自分をちゃんと独立させるってことですね。

 

孤立させるのはよくないんですが、自分を独立して考える

 

俺はもう関係ないと、干渉されない

もう独立したものだから、他の人がどうだろうと別にそれは変わらないというふうに思っていれば、別に他の人の作品を見ても落ち込むことはないかなと思います。

 

あとはそれでもやっぱりちょっと自分が駄目に思えてしまうというようなことがもしありましたら、せめて嫉妬した方がいいかなと思います。

 

落ち込むっていうのは、何かのエネルギーにならないと思うんですよ。

 

落ち込んでショック受けて打ちひしがれてる状態っていうのは、やっぱりあんまりよくないかなと思いますね。

 

特に役に立たないような気もするんですよ。

 

なので嫉妬する方がいいかなっと思います。

 

嫉妬すればうまくやればエネルギーに変換することができるんで。

落ち込んだところからエネルギーに変換するっていうのは何かきっかけがないとなかなか厳しい気がするんですけど。

 

嫉妬はうまくやればね、うまくそれを力に変えることができれば、うらやましいていう気持ちがあればそれでももしかしたらいいかもしれないです。

そっちの方がまだ健全かなっと思います。

 

自分は自分で関係ないはずなんだけどでもなんか悔しい。

悔しいから頑張るぞみたいな感じでいくといいかもしれないですね。

 

悔しくて相手の足を引っ張ろうとする人がいるんですけどそれはやめた方がいいかなと思います。

なぜならね、さっきの話とおんなじで、相手のレベルを落としたって自分変わってないんですよ。

周りに下手な人を呼んできても、自分の技術変わらないっていう話とおんなじですね。

 

なのでね、嫉妬する時は自分がその人に追いかけるための燃料にするっていうのもありかなっと思いました。

 

そんな感じで自分をしっかりと他の人から切り離して考えていれば、いくらでも比較しても別にダメージはノーダメージなんでね。

 

そんな感じで、他の人がどうでも自分の今の状態は変わらないし、他の人が上手かろうが下手だろうが自分がとれる選択肢の幅は広がったり狭くなったりしないんで、そこは変わらないからそこはまず安心して大丈夫です

 

安心したところで、自分とどこが違うのか、とかを具体的に比較していくていうような感じ

 

そんな風に僕は自分と他人を見ていますというような感じでした。

 

参考にしてみてください。

 

 

 

*この放送はVoicyの「#27 上手い人と比較して落ち込まないために」

を参考に書かれています↓