【Voicy文字起こし】模写しても上達しないのか?!原因と対処法を考えてみる

この記事はVoicyの#14 模写しても上手くならないのか?を参考に書かれています

模写は有効である/絵の基本は見て描くで問題ない

 

 

高原
高原

皆さん、お疲れ様です。高原さとです。

 

 

今日は、普遍的なテーマである、模写をしたら絵は上手くなるのかどうか、についての話で行きたいなと思います。

 

模写というのはテーマとして扱いやすいので言ってるんですけど、模写だけじゃなくデッサンとか、スケッチとか、何か物を見て描く、ということは、絵は上手くなるのかならないのか

 

そういう議論をネットでいつも見てるんですよね

 

なんか変だな、と思ったりするんでその辺について話していきたいと思っています。

 

一応僕の中ではその明確な回答があります、というような話をしていきたいなと思っています。

 

模写しても絵は上手くならないよ

 

という人がいるんですよ。

 

 

絵が上手くなりたいんですけど、まず何をすればいいですか、と質問がいっぱい出るんですけど、 Twitter とかでも。

 

まず最初は模写した方がいいよ

デッサンした方がいいよ

 

みたいなことを人がいて、次に、

 

そんなことしても、自分のオリジナルで描けるようにならないから意味ないよ

 

と言う奴が必ずいて、それがすぐ論争になるんですよね。

 

よくそんな同じ会話だけずっとしていられな、と思うんですけど、そういう不毛な会話をして人がいるんですけど、それについてちょっと今回、辛口な感じになってしまうかもしれないですけど、そういう回もあってもいいかなと思うんで、そういう話をしたいなと思います。

 

 

僕の結論としては、基本的には何を描く時も、見て描くというのと同じ事をやってるのでいいと僕は思っています。

 

というのは、仮に何も見ずに想像だけで描いたとしても、頭の中にある映像とか立体とか、とにかく頭の中にあるもの見て描いてるじゃないですか。

 

それって

 

高原
高原

普通にモノを見て描いてるのと同じだよね

 

というふうに僕は思うんですよね。

 

前に宮崎駿が、もののけ姫はこうして生まれた、というDVDがあるんです

もののけ姫のメイキングのドキュメンタリーですね

 

これが好きで割と何回も見てるんです

その中で宮崎駿さんが

 

頭の中で見えてる風景(映像)をスケッチしてるんだ

 

みたいなことを宮崎さんが言ってました

 

僕もそれにすごく納得しました

 

要するに見て描くのと、見ないで描くので、描き方は同じということです。

 

頭の中にある時はそれを見ながら描くし、目の前に対象がある時も見ながら描いてる、というだけなんで、見て描くということが基本ですね。

 

見て描いても上手く描けないんだったら、例え、リアルなものが想像できたとしても描けません

 

何か見ながら、模写元にそっくりに似せたりとか、対象物を観察してそれを紙に落とし込む、というようなことは必要かな、という風に思います。

 

模写でうまくならないと思っちゃう原因は、それを分けて考えちゃうからだと思うんですよね。

 

頭の中に風景が見えるようになるにはどうすればいいんだ!!

 

と思うかもですが、それにはまずモノを見るというのを意識的にやらないといけません

模写やスケッチは、その訓練も兼ねているわけです

 

「描く」訓練と「見る」訓練が必要ということですね

 

で、それをどっちも一緒にできるのが、「模写」「スケッチ」なのかなと思うのです

 

想像で描けない人は、この「見る」訓練が足りてないのだと今は思ってて、僕も最近はモノの見方を改めて訓練しています

 

 

まあとにかく、模写とかデッサンとかしてる描き方と、自分がオリジナルで描いてる時に、違う感覚で描いてるのがそもそも間違ってる認識なのかな、という風に僕は思っています。

 

基本的には同じなんですよね、模写とかデッサンは練習で、本番は自分のオリジナルの絵を描く時、みたいな意識が不必要かなと思っていて

対象をしっかり観察して、それをそっくり紙に再現する、というのでもそれは十分絵を描いていると言っても良いと思うし、それが上手ければ、絵が上手くなった、と言っていいと思うんですよね。

 

模写とか練習法に関する論争を見てると

 

高原
高原

いったい何と戦ってるんだろう

と思ったりはしますけどね。

 

 

何も見ないで描く人は?

 

 

僕はいつも何も見ないで描くよ

 

という人もたまにいるんですよね。

 

その人は、さっき言った「見る」と「描く」を分離して分けてやっているのです

 

 

わからないものは描けない、という話を前々回したじゃないですか、資料の重要性という話で。

 

 

例えば

 

ドラえもんを描いてください

 

と言われても、ドラえもんの等身とか、色とかを知らなかったら描けないでしょ、という話なんですね。

 

じゃあ想像でドラえもんを描いている人はいつ見てるかというと、事前に見てるというだけなんですよね

 

という風に、「見ないで描く派の人」は言いますね。

 

作業中に何も見ないという人は、事前に確認して、作業が始まったら何も見ない、という風にしてるだけですね。

 

僕も最近はこのやり方で描くようにしています。

 

「見る」と「描く」を分離するということですね

 

こうすることで、普段の生活でも集中してモノを見るようになります

 

 

 

描いてる時には何を見てるというと

 

自分が今まで見てきた物とかの組み合わせを変えたり、想像を加えて描いてるだけ

 

なので、そこは同じでいいのかな、という風に思います。

 

 

模写とかデッサンとかと、自分が想像で描いてる時の絵の描き方やモノの見方が、なるべく違わないという風に思う方が良いかなと思いますね。

 

 

模写しかできない人がオリジナルの絵を描けるようになるには

 

「見て描く」と「見ないで描く」は基本的に同じ

と言っても「見ないで描く」は最初はできないはずです

 

特にさっき言ったパーツの組み合わせというのは、個別で訓練する必要はあるかな、と思っています。

 

大した話じゃなくて例えば

 

二枚の模写元を用意して、それを一枚の絵に変えてみる

 

とかです

 

例えば、ポーズだけはこの絵(または写真)にしよう、という風にして

服はこっちの写真のやつにしよう

 

というようにパーツを組み替えながら模写していく、という風にすると、オリジナルの絵に近づいてくるんですよね。

 

それを構図はこれ、色はこれ、ライティングはこれ、

 

ってかんじで何枚も組み合わせたら、それがオリジナルの物になると思うんで。

 

模写とかデッサンとか、まあまあ似せて描けるんだけど、自分でイラストとか、漫画を描く時に、全然上手く描けない、という人は、今の手順で模写の方から広げていく感じにしてみるといいかなと思いますね。

 

複数の模写元を用意して、それを組み合わせて描くとか

 

それも飽きたりしたら、写真や絵の角度を変えて描くというのをやってみたらいいと思いますね。

 

これは中々難しいですが、要するに見ているものの反対側を描くということですね。

 

いきなり反対側はすごく難しいと思うんですけど

 

例えばちょっと動かすんですよ、一部分だけ。

 

キャラクターの絵の模写をしてたとしたら、首の角度をちょっと変えてみたりとか、ちょっと腕を上げさせてみたりとか、大体合わせるんだけどちょっと変えてみる

そういうのを模写から派生させてやっていくと、模写だけじゃなくてデッサンとか物を見ながら描いている時に。

 

想像で一部分付け加えて描いていく、というような形にすると、模写で使ってなかった感覚を使えるんで、かなり上達しやすいかなと思います。

 

そういうのを僕は結構やってましたね。

 

 

模写しても上手くならない、という人は、いきなり何も見ずに描いちゃってるのが原因かなと思いますね。

 

そうじゃなくてちょっとずつずらしていくような感じで、一部分だけ今の自分オリジナルの要素を入れてみると。

 

例えば、何か持たせてみるとか、髪型だけ変えてみるとか、ちょっとずつ自分のやりたいこととかを、今までやっていたことに足していく、というような形でやっていったらいいんじゃないかなあと思いますね。

 

思い出し模写をしてみよう

 

あとおすすめなのは、模写に関していったら、模写の後に想像だけで描いてみる、というのはいいかもしれないですね。

 

さっき言った、頭の中を見て描くという感覚を持ってる人って少なくて、頭の中を見る、ということがあまりできないのかなと思うんで。

 

模写した後だったら、しばらく頭にイメージが定着してるじゃないですか。

 

それだけで終わるんじゃなくて、今度は何も見ずにもう一回描いてみる、という感じでいく

 

その時の感覚が、宮崎さんの言う頭の中の風景を見ながら描く感覚に近いのかな

という風に思いますね。

 

それを何回もやったら、今度は模写しないで、一瞬見た物を想像で描いてみるとか、いつも通っている店とか道の風景とか何も見ずに描いてみるとか。

 

帰り道にそれを確認してみるとか、そんな感じのことやってみるといいかなと思います。

 

そういうことの組み合わせとか、ちょっとした部分的な変換とかでオリジナルの物って作られていくんで

 

見て描く、をちょっと変えたりとか、組み合わせたりとか、深めたりとかしながらやっていくのがいいと思うんで、そんな感じで訓練していけばいいんじゃないかな、という風に思いました。

 

模写は全然悪くないよ、というようなことが言いたいですね。

 

 

何を描いてるかわかっていますか? 

 

見て描いて上手くならないというか、見て描くのもあまり上手くならない人って、描いてるものがわかってないんじゃないかなと思うんですよね。

 

すごいハードルがあるかなと思っていて、それが分かってないと全然駄目ですね、根本がずれてるんで。

 

そこをここではちょっと話したいんですけど、描いてるものが違う、というのは要するに、線を描いてるんですね、描いてるものが違うパターンとしては。

 

「線を」描いてるんじゃなくて、「線で」物を描いてるんですよ。

ということを分かってない人は、いくら描いても上手くならないですね。

 

 

何故上手くならないかというと、その人は物を描いてないからです。

 

その物を描いてるんじゃなくて、線を描いてるんですね。

 

これを聞いて、そんなもん当たり前じゃないか、と思った方は大丈夫なんですけど

 

コイツ何言ってんだ?

 

と思われた人はちょっとやばいかなと思います。

 

線を追いかけちゃうのはあかんのです

 

何を描く時も同じような感じで描いてる、というんですかね、ただそれを写してるだけ。

 

リンゴ描く時も、ミカン描く時も同じように描いていると。

 

ただそこに線があるから、漢字の書き取り練習みたいな感じで、ただ写して、位置とかもそっくりに合わせること

線を追いかけることに一生懸命になってしまう

 

厳しい言い方をすると、それは絵を描いてないんですよ

 

何描いてる時も、同じで描いてるんですから。

 

それは極論、渦巻きをぐるぐる描いてるのと同じじゃないですか。

 

 

そうじゃなくて、必ず対象物を描いているという意識を持つことですね。

 

線は便宜的に使ってるだけで、線で描く必要もないんですよ。

 

 

例えば、紙をちぎってペタペタ貼って絵を作ることもできるし、写真を切り貼りして絵を作りこともできるし、絵の具だったら線じゃなくて、光とか面で描いていくこともできるんで。

 

表現の方法っていうのは、表現したいものに合わせて便宜的に決めてるだけであって、何を表現するかによって、柔軟に変わるものだと思うんですよ。

 

そこに、線とか自分が使っている道具とかの技法を正確に再現することに囚われないで、対象物に意識を向けるといいかなと思います。

 

それが一番大事ですね。

 

ここを外してると全然上手くならないです

 

 

漢字の書き取りみたいに、たくさん描いて覚えるのがいい、と言っている人がいるんですけど、そうじゃないと僕は思っています。

 

それって、結局対象物に対する意識がないし、何も表現してないというか、ただ線を引いているだけ。

 

特に何の意識もなく、何を描いてるかもよく分からずに描いてると

 

そうじゃなくて、このシルエットのリンゴはまだちょっと青い部分もあるからきっと堅いんだろう、冷蔵庫に入ってないからこれ常温なんだ、とかそういうことを考えながら描くわけですよ。

 

美味しそうだなとか、腐りかけてるなとか、切ったら中に蜜が入ってるかなとか、そういうことを考えながら描いていくものだと僕は思うんですよ。

 

そうやって思い描いて描いてると自然とただ単に線を写す、ということにはならないと思うんですよね。

 

何を描いてる時もコピー機のように写しちゃってる人は、見て描くのも上手くないと思いますね

 

そもそも見れてないということなんで。

 

それだと、自分で何か描こうとした時に、資料を見て、パーツを部分的に持ってきて組み合わせたりとか、角度変えたりとか、ということは当然できないんですよ

 

できません。

 

だけど普段から、これはいったい何故こういう形をしているのかとか、この構造は何なのかとか、この裏側はどうなっているのかとか、このリンゴの内側はどういうことになっているのかとか、目の前にあったら触ってみたりとか

 

そういうことをやってるのと、やらないのとじゃ、相当結果に違いが出てくるかな、という風に思います。

 

 

ここで言いたいのは、「線で」描いてるだけであって、「線を」書いてるわけじゃないということですね。

 

線を書くんじゃなくて、自分が今描いている物を描けと、いうことですね。

 

見て描いてる時は、ちゃんとモチーフを見ると。

 

これは何なのか、ということを意識して見ていくというのが大事ですね。

 

機械的に写す、ということもやってみても良いと思うんですけどね、自分の先入観を外すことができるんで。

 

テンプレ的な形みたいので覚えちゃったりするんですよ、記号的にね。

 

リンゴって、ちょうちょみたいな、膨らんだ形だよねとか

 

人の手って大体こんな感じだよねとか

 

先入観で描いてしまいがちなんですけど、それも結局物を見てないということなんです

 

そういう時に一度機械的に写してみるというのもやってもいいんですけど

突き詰めるとそれじゃあ、僕は自分の中での理解が深まったりはしていかないと思うんですよね

 

 

そうじゃなくて、ちゃんと対象物に意識を向けて、それを描くという感じですね。

 

線で描くのか、面で描くのか、光で描くのか、影で描くのか、はたまた彫刻で作るのか、CGで作るのか、というのは対して差がないんで。

 

そこまでちゃんと物を見て、ちゃんと頭の中にもそれを出せたら、あとは道具や表現方法は、何で作っても僕は関係ないと思っています。

 

対象物にちゃんと意識を向けましょう、ということをここでは言いたいですね。

 

 

練習しても上手くならない理由は大体同じ 

 

もうひとつ普遍的な内容にしていくと、練習のやり方の欠陥というか、僕の見ていた限りで

 

高原
高原

練習してるのに上手くならない理由って大体同じだな

 

と思うんですよね。

 

絵に限らず、勉強とか、スポーツとかでも同じかなと思ったりするんですけど。

 

 

練習して上手くならないパターンは、練習してるものがズレてるんですよね。

 

何故ズレてるかというと、何を練習しているかがわかっていないんですよ。

 

分かってないからズレるんですよね。

 

 

何故何を練習しているか分かってないかというと、練習や準備とかを本番より先にやっちゃってるからなんですよね。

 

前にどこかの回で、勉強の話の時かな。

 

本番を先にやってから、練習しろ、みたいな話をしたと思うんですけど、それが正しい手順だと僕は思うんですね。

 

最終的にやりたいことがあるじゃないですか。

 

 

やりたいことをまずやってみたらいいと思うんですよね。

 

できるかもしれないじゃないですか、一発目でやったら。

 

とりあえずそれをやったら、失敗とか発見があるじゃないですか。

 

 

そこで、

高原
高原

自分って絵がめちゃくちゃ下手なんだとか

 

人体のバランスが全然取れてないとか

 

光と色が全然分かってないとか

 

というのを多少なりとも分かるんですよ、最初に本番をやれば。

 

 

それをやらずに、練習だけしてると、それは練習にならないんですよ。

 

自分が、何故それをやってるのか分かってないから

 

 

じゃあわからないのに何故やっているかというと、誰かにそれをやれ言われたからです。

 

本とかを読んで、どうやれば絵が上手くなるか、みたいなことを調べて、その通りの練習のやり方をなぞってるだけなんですよね。

 

何故それを自分が練習するか分かってないけど、他の人が、これやったらうまくなるよ、と言ってるからただそれをやってるだけなんですよね。

 

それは上手くならないですよ。

 

今自分がどこを練習していって、何のためにやってるのか、というのを分かってないんで、それは上手くならないでしょ、ということですよ。

 

こんなにたくさんやったのに上手くなりませんでした!!

 

という人は、やり方や考え方悪いからでしょ、と思うんですけどね。

 

 

模写しても上手くならなかったとかこの問題集をやったけどダメだったとか、この学校行ったけど全然役に立たなかったとか先生に教わっても全然だめだったとか。

 

 

高原
高原

いや、それは全部あなたが悪いでしょ~

 

という風に僕は思うんですけどね。

 

まずやる前に、自分が何をやりたいか、ということが明確になっていれば、そもそもやることを外すリスクってすごく少ないし、しかもそこが明確になっていたら、自分が求めているポイントだけを絞って見ればいいんで、その部分は少なくとも吸収できるはずなんですよ。

 

全然役に立たなかったとか、全然上手くならなかったと言っている人は、何を自分が練習したとか、何を目指しているかとか分からずに、他の誰かが、この学校に通ったら勉強できるようになるとか、こういう技術が身に付けられるとか

 

こういう練習法をしたら絵が上手くなるとか言われて、自分は何もわからずに、何も失敗とかしないで、それを言われるがままただ単になぞってるだけだから上手くならないんです。

 

他の人がこういったからじゃなくて、それも参考にしても良いと思うんですけど、まず自分の目的はこれで、漫画描きたいんだったらまず漫画描いてイラスト描きたいんだったらまずイラスト描いて、グダグダ言わずにそれを描いてみる

で、ダメなところや、わからないところがわかったら、そこを練習したり、人に尋ねたりする感じですね

 

もちろん一度の失敗じゃ、どこが間違ってるか完全にはわからないですよ。

 

ちょっとでもいいから、もしかして人体のバランスとか筋肉とかが分かってないじゃないか、と気づいた段階で筋肉の練習とか勉強をしたらいいんですよ。

 

それをやらずに、筋肉とかをマスターしてからやれ、まずパースをマスターしてからやれ、と言われて、そうか、まずそれをやらないといけないんだ、と言って、それをやろうとする人がいるんですけどね、練習を先に。

 

それは、分かってないということが分かってからやりましょう、と僕は言いたいです。

 

手順を間違えないようにするということかな、と思うんですけどね。

 

 

先に練習したくなる気持ちは分かるんですよ

 

 

先に練習して、準備万端にして、本番をやりたくなるんですけど

 

最初に本番をやったほうがいい

 

本番といっても、一回しかできないようなものじゃないじゃないですか。

 

一回しかできないことなんて、そこまで無いと思うんで。

 

絵なんていくらでも描けるわけですから

 

だったら、自分が最終的にやりたいものを見様見真似でもいいからやってみると。

 

それが一番楽しいですしね

 

そこでつまらなかったら、そこで止めればいいじゃないですか。

 

 

練習だけずっとやって、最後に本番やって、本番やってつまらなかったら悲しいじゃないですか。

 

例えば、プロになりたくて、ずっと練習して、やっとプロになって、やった、プロになれた、と思ってやってみたら全然面白くなかった、となったらすごい損じゃないですか。

 

だったらまず安い仕事でも、知り合いにでも頼んで、人に頼まれたこととか、最終目標を先にやってみて、楽しかったらそのまま続けていって。

 

そこで

高原
高原

俺ってめちゃくちゃ下手だな

 

と思うと思うんですよ。

 

技術的なことをやったら何をやっててもそうだと思うんですよ、喋りでも、文章でも、絵でも、最初は楽しくてもしばらくしたら、俺ここ下手だな、と思うじゃないですか。

 

思ったらそれを練習すればいいんですよ。

 

 

その段階で調べたりすれば、努力の方向性を外したりする心配はないと思うんですよ。

 

そいでちょっと練習したらすぐに本番に戻るわけです

 

絵なり文章なりに戻って、ちょっとできるようになったな、とかしたらすぐ実践につなげられるじゃないですか、そこが大事なんですよ。

 

模写してる時も、髪の束感をしっかりと模写しようと。

 

なぜなら、この前描いた時に髪がのっぺりしてて、はんぺんみたいだった、という失敗を基に練習する、みたいな感じで、先に本番をしていれば練習ですごく的外れなことをする確率って少なくなるんですよ。

 

模写とかも、技術的に上手くならないということはないと思うんで、大いにやっていただいていいと思いますし、模写が目的でもいいと思うんですよ。

 

対象物を見て描いてすごく楽しい、というのでもいいと思うんで。

 

その場合だったら、模写とかデッサンとかは本番じゃないですか。

 

それは練習じゃなく目的なんで、最初にそれにアプローチしても良いと思うんですよ。

 

もし、イラストしたいとか、コンセプトアートやりたいとか、漫画家になりたいとかだったら、そっちを最初にやって、技術的に未熟な部分を部分的にも理解して、ちゃんとわからない部分に絞って練習する、というようなプロセスで練習したらいいんじゃないかなと思いました。

 

模写とかデッサンとかを練習の目的としてやるんだったらそんな感じの使い方をしてくれるといいかなと思います、参考にしてみてください。

 

この記事はVoicyの#14 模写しても上手くならないのか?を参考に書かれています