好きなことでも、常に楽しいわけじゃない
皆さんお疲れ様です
高原さと(@ART_takahara)です!
今日はですね、 好きを仕事にするべきか、というようなことをテーマにしてお話ししたいと思います。
好きを仕事に、プラスその好きっていうのはどういうものなのか、っていうことについて、自分が考えていることについてお話ししたいなと思います。
最近は、この好きっていうことについてばっかり考えていて、この一週間ぐらいはずっと考えてましたね。
で、たまに
好きを仕事にした方がいいのか、しない方がいいのか…
、みたいな話がまず出てきたりとかするんですけど。
いろんな意見がもちろんあるかと思うんですけど、僕の考えとしては、仕事にするしないの観点で考える必要ないかなと思っています。
仕事にできるかどうかって、社会の環境とかでも決まってくるものだと思うんですよね。
例えば僕は絵を書いて今お金をもらっているわけなんですけども、
もし江戸時代とかだったら、絵でお金を稼いでる人はすごく数少なかったと思うんですよね、今と比べたら。
江戸時代でも絵を書きたい人っていっぱいいたと思うんですけど、多分江戸時代の人で絵でメシが食える人は本当に少数だったんじゃないかなあと思うんですよね。
でもそれに比べて、今は日本は絵の仕事すごい多いし、最近はネットとかでも絵を書いてお金をもらったりとかすることができるんで、とっても恵まれてます
そういう意味で言うと、絵に関しては少なくとも仕事をもらいやすくなってるていう風に思います。
絵だけじゃなくて、やっぱりいろんなものを仕事にしやすくなってきてるんじゃないかなって思うんですよね。
インターネットでいろんなニーズが見えてくるようになって、直接インターネットを通していろんなものを届けられるようになったっていうことを考えると、
好きなことを仕事にしやすいな、っていう風に思うんですよね。
ただ僕が注意すべきだったなって 自分にも反省していることはやっぱり、
好きなことって楽しいっていうこととは何の関係もないなっていう風に考えるべきかなって思いますね。
好きなこと=楽しいことだと思っている人は、やっぱり長続きしないのかなって思うんですよね。
なぜなら、楽しくなかったらやめちゃうからなんですよね。
楽しいむための手段なら、代替可能なんですよ。
だから、何が言いたいかっていうと、好きなことやってたからって、いつもいつも楽しいっていうわけではないんですよね。
それは好きなことでお金をもらったりしたいって思った時に、必ず考えるべきことだと思っていて。
好きを仕事にするまでが辛いっていう話じゃなくて、夢が叶った後でも、好きなことをしてる中でも、大変なことはいっぱいあるということです
それでもやれるかどうかっていうのが本当に好きかどうかっていうのが分かれ道になると思うんですよ。
そういうことを最近よく考えるようになってました。
あとは、何が好きかっていうのを履き違えないようにする、っていうことが大事かなという風に思うんですよね。
絵だったら、絵を見るのが好きなのか、絵を描くのが好きなのか、っていうのはかなり大きい違いかなっていうふうに思っています。
絵を見るのが好きで、だから絵を書きたいっていう風に思っちゃうと、やり始めてから、ちがう、っていう風に思うと思うんですよね。
やってみないとなかなか気づけないところもあると思うんで、やりたかったらやってみればいいと思うんですけど。
結局のところ、好きじゃなかったらなかなか続かないのかな、っていうふうに思っています。
僕が今まで何年か絵の仕事をしてきて、ここまで一応続けているのは、好きだったからだと思うんですけど
最近それは絵そのものじゃなかった、っていうことに自分で気がつくことができたんですけど。
その話は今回置いておいといて
とにかくその自分が好きっていうことに対して何が好きなのかもうちょっと掘り下げて、
漠然と絵が好きとか、漫画が好き、とか言うんじゃなくて、もうちょっと掘り下げて、解いた時にどういったところが好きなのか。
描く前にアイデアを考えている時なのか、描いてる最中なのか、描き終わった時なのか、はたまた色をつけるときのか、それとも人に見せて喜んでもらった時なのか、
というようなことをのをちゃんと考えて。
その辺をちゃんと掘り下げて考える必要があるかなっていうふうに思いました。
好きを仕事にするに対してっていうことに関して、すごい面白い考え方をおっしゃってる方がいて。
デザイナーの方で、 すぴかあやかさんって方が去年ぐらいにおっしゃってたこと
ご自身のブログで話されてた「好きなことと仕事の関係」についての話でした
こちらの記事です↓
*上記の記事「デザイナーのわたしが、好きだった絵をいつの間にか描かなくなって、再び描くようになった話」より引用させていただきます
「好きなことは仕事にしないほうがいい」というのは、シーンによって様々な意味はあるが、わたしは「卵かけごはんを人に出せるか」ということだと思っている。
じぶんの大好きな卵かけごはんを「生卵なんて気持ち悪い」と言われるのはとてもこわい。もしかしたらニーズに合わせてネギをのせるかもしれない、海苔をまぶすかもしれない。それでもその「卵かけごはんを愛す覚悟」はあるのか。
すごいですね
料理に例えてみて、
自分が好きな料理は、家で食べる卵かけご飯で、一方、仕事で人に出すために勉強したフランス料理
があるとして
ここでの好きなことの例というのは卵かけご飯のことです
仕事=フランス料理ってことです
で、フランス料理の方をやる人は、好きなことをやっているっていうよりかは、誰かのために働く。
自分が好きだから働くって言うんじゃなくて、他の人の望みを叶えるためにやってるということ
一方で、好きを仕事にするっていうことは、卵かけご飯を人に出せるかどうか、ということらしい
なるほどですね
自分が本当に大好きなものをひとに見せたりして、その卵かけご飯に、生の卵なんて食べられるかよみたいなことを言われたりとか
もしくはその卵かけご飯に
ふりかけをのせてよ
とか言われたりとか、
醤油をもっと足せとか、唐揚げを乗せろとか、
仕事にすると、そういうことを言われる可能性があるってことですね
それでもその卵かけご飯が好きでいれるかどうかが、好きなことを仕事にできる人とできない人の差ということです
で、すぴかさんの場合はデザイナーとして、フランス料理の方をやってるっていう風におっしゃってたんですけど。
要するに、自分の好きなことじゃなくて、人が楽しむことをやる、人の望みを叶えるためにやってるそう
そんな感じで、要するに自分が好きなものを人に出して、それを否定されたりとか、もっとこうしてとか、全然ダメだよとか言われても、
それでもそれを続けられるかどうかっていうのが一つの境目になるのかなっていう風に思ったりします。
人と仕事をする以上、自分だけの楽しさは追及できない
だから結局そういうことを含めて、好きなことをやっててもいつも楽しいとは限らないと思うんですよ。
でも辛い時にも、好きって言う事が、自分をつなぎとめてくれるものになると思うんで。
結論
やってみれば分かると思うんですけどね。
結局やってみて、好きじゃなかったら、どうせすぐ辞めると思うんで。
好きかどうかわからないんだったら、やってみればすぐわかることだっていう風に思ったりもするなと思いました。
仕事にした後、好きなことを忘れないために
好きなことを仕事にした後、注意する事っていうのはあるかなと思っていて
結局、ある程度は人のためにやると思うんですよ、仕事にするっていうことは。
仕事では、誰かの役に立ったりしないとお金ってもらえないはずなんで。
そうなってくるとやっぱり最終的に見てくれるエンドユーザーというか
使ってくれる人とか、お客さんとかに喜んでもらうことが最優先になってくる
そっちに応えるように修正とかを色々していくと思うんですよ。
本当はこうしたいんだけど、お客さんの要望に合わせてこういう風にやる、っていうようなことをやっていかなきゃいけないと思うんですけど。
好きを仕事にしたくない人って、これが嫌なんだと思うんですよね。
これをやることで、自分が好きだったものが嫌いになるんじゃないか、っていうようなことを恐れてる人はいると思うんですけど。
嫌いになるケースもあると思うんですよ。
嫌いになったケースは多分辞めますね。
あとは、やっぱり好きじゃなかったって気付いた時もやめると思うんですよ。
もっと悲しいパターンだと、お金のために仕事は続ける
けど、好きという気持ちだけが消え去るっていうこともありえるなと思っていて
、っていうか、そのパターンの人が結構いるんですよね。
絵描きにしてもクリエイターにしても、僕はそういう人達って、特に用が無くてもそれをやる人のことだと思うんですよね。
クリエイターに限らず、好きなことって別に用がなくてもやってるんですよ。
誰に頼まれなくてもやるんですよ。
それをやらなかったらそんなに好きじゃないと思います
別に誰に頼まれなくてもやるし、お金貰えなくてもやる
というものが好きなことだったはずなのに
仕事にしてしばらく経つと、頼まれなきゃやらなくなったりするんですよ
お金をもらわないとやらなくなったりとか
頼まれたものを作るとか、お客さんに満足してもらうっていうことが、やっぱり仕事だと優先される
で、そっちに傾倒しすぎて、自分がやりたい事とか、好きな気持ちが思い出せなくなるんだと思うんですよね。
実際プロの中でも、仕事以外でも土日とかに何か作ってる人あんまいないですね。
いるんですけど、だいたフリーランスの人とかだったりしますかね。
会社員とかだったりする人は、結構家では忙しいっていうのももちろんあると思うんですけど、自分一人で何か作りたいっていうモチベーションが、どうもなくなりやすいみたいなんですよね。
僕の先輩はそれを「枯れる」っていう風に言ってたんですけど、そういう時期が来るんだみたいなこと言ってました
それはなんか寂しいなって僕は思います
そういったことになるリスクはあり得ますよね。
お客様商売って言うか、人の役に立つってことが仕事するってことだと思うんで。
そうすると自分も用がなくてもやるとか、頼まれなくてもやるっていうところからちょっとズレてきてしまう、ズレてることにも気づけない。
ズレてることに気付けずに、目の前のことに追われていると、ふと一人で何か作ろうとした時に何も思いつかない、というようなことになってしまうのかなって思います。
もしかしたらここが、仕事にするっていうことの一番のリスクかなって思いますね。
これに関して、前にプロゲーマーのダイゴウメハラさんが、セミナーの動画で話されてことがとても印象的でした
↓こちらの動画です
「好きっていうのは、それで終わらないといけない」byダイゴウメハラ
好きなことでお金を稼ぎたいとか、いうことを考えちゃいけない。
そうすると、その理屈でいくと、本当は好きを仕事にしちゃだめだと思うんですよ。
なぜなら、仕事にしたら、それで飯を食うってことが目的になってきてしまうんで。
目的が替わっちゃうんだと思うんですよね。
最初は何の用がなくても作ってたのに、いつのまにか仕事で使うものになった。
仕事で使う道具と言うか、手段になってしまったんで、それを繰り返していくうちに、手段として定着しちゃって、目的に据えてた時を思い出せなくなっちゃうんですよね。
ちょっと結論がなかなか今の時点では出ないんですが。
一概に好きを仕事にすべきとかすべきじゃないっていうのは、なかなか言えないかな
でも僕としてはやっぱ、好きを仕事にした方が幸せだとは思うんですよね
いつも楽しいわけじゃないけど、やっぱり好きなことやってた方がいいと思うんですよ
モチベーションになるんで。
そのモチベーションが仕事をする中で消えてっちゃうっていうのが問題だと思うんです
仕事で他の人の望みを叶えることによって
好きなことを分解してみる
なるべく自分の大元の好きなことに近いことをなるべくやっているといいのかな
そういうような仕事を選ぶといい気がしますね。
ここも多分、好きなことをどこまで分解できているかで勝敗が分かれるのかなって思うんですけど。
漠然と絵を描くのが好きって言うだけじゃなくて、どこの部分が好きなのか。
アイデアを考えるのが好きなのか、綺麗な絵を作るのが好きなのか
アイデアを考えるのが好きだったはずなのに、そこの部分ができずに、表面的な絵だけ描いてたりすると、やっぱりその人にとってやりたいことが出来なくなっちゃう可能性はありますよね。
でもそのことに気づかずにそのまま続けてしまうと、もうその好きなところが思い出せなくなっちゃうのかなって思ったりはしますよね。
だからなるべく、その自分が好きな事を分解していって、それだけで完結できることっていうところまで分解する必要があると思うんですよ。
そこだけは絶対に外さない
お客さんの要求があったとしてもそこだけは絶対にズレないような、それだけはやり続けられるように仕事するとか
ニーズとかお客さんの要求とかで売れるような仕事をしてしまうと、ちょっとそこで自分の中で大事にしてる物がブレてきちゃうと思うんですね。
ブレてきたっていうことに気づいて仕事辞めれたらいいと思うんですよ。
フリーになったりすればいいと思うんですけど、それに気付かずに続けちゃうと、好きなことがなくなっちゃうと思うんで。
仕事にするのはすごくいいと思うんですけど、もとの目的は、好きなことをなるべくたくさんやるっていうことじゃないですか。
好きなことやりたいっていうのが目的なので、仕事にするっていうのも好きなことをやるための手段なんですよね。
仕事が手段で、好きが目的なんですよ。
お、なんか結論に達しましたね。
仕事が手段で好きが目的
仕事をするうえでそこが逆転していっちゃうんですよ
逆転しないようするには、最初にその仕事の設定の時点で好きをちゃんと担保できている仕事を選ぶと。
それが担保できないこととかってあるんですよね。
絵が好きな人がデザイナーやるとかだったら、たぶんそれは難しいと思うんですよ。
デザイナーとかイラストレーターは、そういうのは基本お客様商売なんで、頼まれたことをやるのが絶対なんで
もし例えば、本当に絵が好きだったら、イラストレーターとかじゃなくて、今だったらライブ配信とかで絵を書いたりとか、もしくは本当に自分の好きな絵を描いて直接売るとか。
ちょっと貧乏になるかもしれないけど、そっちの方が自分の好きなことに近い
そういう仕事を選ぶべきだ、っていうような順序で仕事を選ぶ。
好きなことするのが目的だから、そのために仕事は手段として選ぶ、というような順序で考えるといいんじゃないかなと思いました。
好きなことを諦められる人は、自ら呪いを断ち切れる強い意志の持ち主
はい
今回は好きを仕事にする時の問題点とか、どういうことが起きやすいのかっていうことについて考えてみました。
結構自分としては納得いくところまで行った気がするんですが、どうでしょうか。
好きって「理由なく良いと思うこと」、「理由なくやること」ですよね
生きていくうえで、ほとんどのものが手段になりうる気がする
その中で最後に目的に据えること、何かを選ぶときに理由に据えるこが、好きって言うことかなと
目的なしで選べるものなので、もしそういうものがあるんだったら、忘れないようにしたほうがいいと思います
けど、一方で好きなことを仕事にしなかったとか、好きなことを諦めたとか、やめたとか、そういうような選択をした人も僕はひとつすごいなと思っていて。
好きって、楽しいとも限らないんですよ。
別に苦しいこともいっぱいあるんで。
得られるプラスの感情で考えたら、どっちも変わんないと思うんですよ。
やってもやんなくても。
でも、強制力が働くと言うか、理由はないけどこっちの方がいい、って思っちゃう。
これは、なんというか、呪いっていう風にも言い変えられるなっていう風にも思うんですね。
好きって言うと、 お洒落な素敵な感じがしますけど。
どうしてもこっちがいいんだっていう風に思っちゃう。
理屈では、絵なんて仕事にしないほうがいい、絵なんて描かない方がいいってわかってても、描きたいっていう風に思っちゃうっていうのは、それはもう呪いだっていう風に思うんですね。
で、それを諦められる人っていうのは、その呪いを断ち切る人なので、これは意志が非常に強い人だと思いますね。
一般的に何かを諦める人って、意志が弱い人みたいなことを言われたりすると思うんですけど、むしろ逆で、ずっとやってる人の方が意志が弱い人なんですよ。
で、途中で諦めることができる人、特に好きなことを諦めることができる人っていうのは、自分の感情の、一番深いところを自分の意志で切れる人
自分の感情よりも、利益とか自分の目的とかを優先させることができる
という人だと思うんで、それは逆に自信を持った方がいいかなと思うんですよ。
本当に自分に必要なことを、目の前の感情に流されずに選ぶことができる
ていうところは絶対プラスになると思うんで。
あとは、その場では選ばなくても、また時間があってでやったっていいわけなんで。
その場では自分に何が必要かって事を選べる。
自分の好きっていう感情も断ち切れるような人は、それはそれで力がすごいあると思うんで、別に後悔する必要はないかなと思いますね。
なので別に、好きなことを諦めちゃったっていうことに対して、そこまで後ろ向きになる必要はないかなと思います。
それは本当に自分の決断でやったんだから、それはもう自信持ってやればいいと思うんで。
というような感じですね。
なので、今回の話は、結論としては、別に必ず仕事にしろっていう話でもないですね、
、仕事にするんだったら、それなりにいろんなデメリットとかがあるし、好きな気持ちとかがなくなっちゃうかもしれないから、自分が何か好きなのかっていうのきちんと明らかにして仕事を選んだ方がいいっていうような話ですかね。
なんかちょっとよくわからないお話になったような気もしますが、今日はこのあたりで失礼したいと思います。
またまたー