「努力は報われるとは限らない」に対する違和感

 

「努力」は「我慢」なのか?

Voicyでも似た話をしました

 

 

皆さんお疲れ様です

 

高原
高原

高原さと(@ART_takahara)です!

 

今日のテーマは努力についてです

 

努力が報われる、報われないの議論って、たまに発生すると思うんですけど

これを聞いて僕は違和感があります

 

どこに違和感があるかって言うと、そもそも「努力は報われない」の中には、「努力」って言葉と「報われる」って言葉があります

「努力」って言葉について最初に話したいんですけど、努力を我慢と勘違いしてるんじゃないかなと思いました

 

この「努力は報われない」とか「頑張ってもダメな時もある」とかは

まあそうだよねって感じなんですが

 

僕が感じた違和感というのは、頑張ることとか努力することを苦痛や我慢と勘違いしてそうだなってことです

 

嫌なことや我慢を積み上げていくことで、その先に成功がある、みたいな

 

そういう話だと思います

 

ただ僕はこの努力が我慢とか苦痛であるっていうその考え自体がそもそも間違っていると思うんですよね

 

努力が報われるか報われないかっていう言葉が発生する時点で、そもそも、

「なるべく努力したくない」

っていう前提があるきがします

どそれが間違ってるんじゃないかなと思ってますね

 

なぜ努力自体が嫌なこととか面白くないこと、辛いこと、何かを我慢することだって勘違いしてるのか

 

それはまー勉強学生の勉強ってものが一つあるのかなと思います

 

僕が学生時代に受けた日本の教育の中の勉強ってのは、基本的にはそこまで面白くないと思いますね

人によるとは思うんですけど

 

まず自分でやりたいものじゃないからなかなかそこに対してモチベーションを持ちづらい

 

そん中でいい成績を取るためいい、大学に行くため、良い将来のためにやりたくない勉強をやる、みたいな

 

そういう学生時代の勉強に対するイメージっていうのが、そのまま大人になってからの「努力」っていうものイメージに繋がっているんじゃないかなと思っています

 

悩子
悩子

将来のために、今は我慢しなきゃ

 

勝てる場所で戦うのはいいけども

 

最近の発想でいくと

「ブルーオーシャンを探せ」とか

「ポジショニングワークをする」とか「自分がその貴重である場所に行って戦え」というような定説みたいなものがあると思います

 

要は「勝てる場所で戦え」ってことですね

 

それはそれでいいと思います

 

ただ目的によるかなと思うんですよね

 

今回のテーマである「努力は報われない」という言葉の二つ目の言葉

「報われる」ってどういうことなのかなということなんですよね

 

どういう状態が報われた状態なのか

 

結論から言うと、それは自分で中で決めることであって、社会の中の順位や相対的な価値で決まるものじゃないと僕は思ってます

 

社会の中で評価されること、自分がその集団の中で上位になること、お金をたくさん稼ぐこと

それが報われるって事なのかい

 

もしそうだとすると確かに 努力してもほとんどの場合は報われないと思いますね

 

例えばその集団の中でトップに立つことが報われるって言う事なのだとしたらそれは一つの集団の中で必ず一つ一人しかいないわけですから

 

 

そうすればまあほとんどのマジョリティは努力しても報われないはずです

トップに立てない、上位に入れないという意味で報われないと思います

 

またお金持ちになるっていう意味で言っても、確率で言うとお金持ちになれない人の方が少数派ですから

ほとんどの人が努力してもお金持ちにはなれないという風に言えると思います

 

ただそれは社会の中の関係性で決まるものなんですよ

 

僕はそれ以外の部分に「努力」が「報われる」の基準を置くべきだと思います

 

 

 

場所を変えても自分自身は同じ

 

僕の場合は、自分の成長というか、前に進むことを「報われる」の一つの基準にしてます

努力したことによって自分自身が成長しているかどうか

 

それは社会的なことと関係ありません

 

 

僕は喧嘩とか全然弱いんですけど

例えば高校生男子とかと喧嘩したら、まーボコボコに負けると思うんですけど

じゃあ僕が小学校とかに行ってそこで戦えば確かに僕は勝てますよ

 

そこで勝つことによって、すごいっていう風に賞賛を受けるかもしれないし

場合によっては仕事がもらえたりとか、お金がもらえたりするかもしれない

 

だけどそれは僕自身は全く成長してもいないし変わってない

弱いままの自分だと思うんですよね

弱ってか、自分自身が変わっていないことは間違いないと思います

 

報われるって言うことが社会の中で自分が必要とされることだったり、集団の中でトップに立つことだとするとそれって結局人から与えられるものだと思うんですよね

自分が生み出したものとは違う気がします

 

強い集団の中では勝てないけど、人がいないとこで戦ったりとか、勝てる場所で戦う

 

それは確かに結果としては勝てるのかもしれないけど、自分自身のその強さってのは変わっていない

 

僕が言いたいのは、そこに対して自分の満足感や幸せってのあるのかってことです

 

僕はさっきも書きましたが、自分の成長とか、満足とか、納得ってものを追求して生きていくことを目指して生きるようにしてます

 

自分の中の成長とか満足感とか自分が設定した目標を達成することよりも、社会の中での自分のランキング?みたいなものを上げることが大事になっちゃってる人がいる気がしています

 

集団の中で活躍するっていうこととか、自分が相対的に上位にいるって事が自分の満足感につながっているのであればいいんですけど

そうじゃないケースもあるのかなって思ってます

 

それが、「努力は報われない」の言葉について思ってことです

 

楽しい「努力」をするために

 

努力ってのは本来楽しいものだと思います

努力が楽しくない時点で、やっていることがそもそも間違ってるのかも

 

人から褒められることが自分の中の幸せだったりとか、集団の中で自分の力を発揮するってことが自分の幸せだという風に言えるのであれば、そこに向かってる努力っていうのは楽しくできると思っています

 

やっていて楽しくない努力ってのは、やっぱりどっかで自分がその目標に対してワクワクできないんだと思うんですね

 

本当にその後ゴールドとか目標に対してワクワクして、たどり着きたいと自分で本気で思っているのであれば、努力すればちょっとでも近づくことができます

 

勉強したり練習したり

そこに対して必ず喜びっていうの味わうことができるんですよね

 

自分の目標が他の人から見て無理であるとか、滑稽に見えたりとか、

無駄な努力をしていると勝てない場所で努力してる

 

という風に思われることもあるかもしれないです

 

悩子
悩子

どうせ無理なのに

 

ただそれはあくまでも、周りが言っていることなので、自分の満足感とは違うと思うんですよ

追求すべきは「自分の満足」であって、集団の中でのランキング向上ではないです

 

苦痛なこととか、我慢の先には幸せってものはないんじゃないかな

なので、努力して楽しいこと

自分にとって何が報われるってことなのか

 

それが大事

 

高原さと

 

Voicyでも似た話をしたよ

 

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ウメハラさんは僕と考え方が似ていてて面白いです

やる気のでる話です