楽しく絵を描き続けるために一番大事なこと

 

好きなもの・良いと思うものを描くのが一番大事

 

 

楽しく描くために一番大事なこと

 

それは

 

 

高原
高原

好きなものを描くこと!!

 

好きなものがない、わからないという人は

 

高原
高原

良いと思うものを描く!!!

 

これにたどり着いた

 

結論非常にシンプルですね

 

当たり前じゃないかと思われがちですがこれが出来なくなっている人は結構多いように思います

かくいう僕自身もそうでした

 

上手いのに辞めちゃう人や、描きたいものがないことに悩むひともこれです

 

これに陥ってしまう原因としてあるのは、うまく書こうとしすぎてしまう、上手く書くことが最終目標になってしまうことです

 

良い結果を出してやろうと思いすぎて、目の前の感情や意識が弱くなってしまうのです

 

そうすると書いているものに対する興味、好きという気持ち、いいなと思う気持ちを失ってしまうから

 

なんですね

 

その気持ちを失っていることに気づかずに絵の技法だけ伸ばしていくと楽しく描けなくなってしまう

ということなのかなと思います

 

 

 

どこから描き始めるか問題

 

好きなものがわからなくなったりする原因は、技術ややり方だけを追いかけすぎることです

 

 

この前、友人の日日日さん(@HibikaSakugaと話したことがあります

 

 

絵を描く時、最初にどこから描き始めればいいかという話です

 

頭なのか、シルエットなのか、背骨なのか、腰なのか

 

日日日さんが言ってたのは、

 

描きたいところから描くのが一番いい

 

ということでした

 

僕もそれが一番いいと思います

 

 

ですが好きなところから書き始めるということを推奨している技法書は僕はあまり見たことがありません

 

大体の技法書では全体のバランスや流れをとりましょうとか最終的なゴールイメージを持ちましょうとか

そういうことが書いてあります

 

 

一方この、好きなところから描くというのはそれと正反対です

 

細かい部分を見過ぎてしまったりバランスが崩れてしまう原因になりやすいので、上手く書くという目的においてはあまり適していないという風に思われるかもしれません

 

確かにその場で良い結果を出すためには、自分が見たいものだけを見るよりは、全体を均等に見たり一部に注目せずに描いた方がいいです

 

ただし長期的に見ると、好きなものとか興味のある部分を意識して、そこに注目して書くということの方が、全体のバランスを見ながら書いたり、効率の良い描き方で描くことよりはるかに重要だと言うという風に思います

 

結局絵が上手くならなくなってきた時って、情熱を失ってきた時なのかなという風に思います

 

これ好きとかあれが嫌いとか、そういうモノに対する興味より絵が上手くなることだけに注力して、最後には絵に対する興味も失ってしまい、何もモチベーションが残らなくなる、という感じです

 

情熱を失っちゃうと結局たくさんかけませんし、たくさん描いてもそんなに良い結果が出にくくなってきてしまいます

 

技術に関しては基本的なパターンや基本的は基本的な立体などの理屈に関してはある程度のことは何年か描いてれば知ることができます

 

そこから先さらに上に行けるかどうかというのは

 

絵以外のものにどれだけ興味を持っているか

目の前のものに対する興味を失っていないかどうか

 

というところが非常に大事だと思います

 

描きたいところから描き始めたほうがいい、というのはそういうわけです

 

描き方や上手く描くことにこだわって書くよりも

好きなものから描いたり、好きな部分や注目しているところ、良いと思うところから描いて、絵の技法は後からぎりぎり帳尻を合わせる

ぐらいの方がモチベが尽きないと思います

 

物事に対する興味は、理解が深まったり、繰り返しやったりしていればだんだん落ちてきます

 

要するに、絵に対する興味や、絵が上手くないたいという興味は、絵を描けば描くほど薄れるということです

それが完全に失われるのは、上手くなったと思ってしまった時、もしくはもう上手くなれないと思ってしまった時かなと

 

けれど絵に対するモチベーションが落ちても、他にも好きなものや、良いと思うものがあれば絵は描き続けられます

 

奥が深いのは「絵の描き方」ではなく、「モノ」だと思うのです

 

「絵の描き方」と違って「モノ」はたくさんあります

その時ハマっているアニメでもいいし、ゲームでも良いし、好きな友人でも服でもいいです

 

「絵の描き方」に対しての興味もその中の一つとしてあるわけです

 

ただし、それはずっと続くとは限らないので、絵を最優先にしすぎて、ほかの「モノ」に対する興味を失わないように気を付けたいですね

 

壊れた感情のセンサーを回復させる方法

 

 

感情のセンサーが壊れている人がたまにいます

 

さっきの話の延長ですね

僕もそのパターンに陥りがちでした

 

というのはやり方とか結果とかにこだわりすぎて今目の前でやっていることに、自分がどういう感情を抱いているのかっていうことが置き去りになってしまうからなんですね

 

自分がやりたいこととか、目の前で目の前の自分の感情とか抑えて、最終的な結果がうまくいくことを優先して、今やることを決めてしまう

 

そういう合理的な判断もすごく大事です

 

ただ、それをずっと続けていくと、感情のセンサーが壊れてきてしまうのかなという風に思います

壊れてきたことに気づかずに放置していると、技術とか方法論とか能力は伸びていくんだけれども、だんだん楽しくなくなっていく

 

楽しくなくなっていくと結果的に能力値もある一定のレベルで止まってきてしまいます

 

その先に行くモチベーションがなくなってしまうからです

 

それはだいたい能力的にもある程度の所に行った時だったり、ある程度良い結果が出るということがわかったときかなと

そこで成長はストップするんですよね

 

だから感情のセンサーが壊れたまま放置して結果優先で動くっていうことは、短期的には結果がでるのでいいんですが、長期的にみると大きな問題になりやすいです

 

だから回復センサーを壊さないように、自分のいつもやっている判断とか、今やっていることに対する感情っていうものを見逃さないようにしましょう

 

すでに壊れてしまっている人は、今自分が下した判断が感情的な判断なのか合理的な判断なのかどっちなのかということを考えてみるといいと思います

 

これは結果として同じ判断でも人によって違います

状況によっても違うと思いますが

 

例えば会社で残業をしようと思った時、その時に自分が残業するということをどういう基準で判断しているのか

 

それが感情なのか合理性なのかっていうことを意識してみる

 

本当はやりたくないけど残業代がもらえるという今後の利益のためにからやっているとか、短期的な感情的な感情よりも長期的な利益を優先させているとかなら合理的判断になるし、ただ単に会社にいた方が楽しいとか、そういう風に思っているので、あればそれはその場の感情的な判断になる

 

と思います

 

感情=その場のこと

合理性=未来のこと

なのかな

 

それが一致してたらいいんですが、食い違っていたら要注意です

 

そういう感情の判断と理性的な、合理的な判断というものを分けて意識的に物事を決めていくことで感情のセンサーを壊さずに維持することができます

 

なるべく感情の通りに生きれたらそれでいいんですが、いつもいつも感情的に生きるわけに行かないわけです

そこが難しいところです

 

ただ少なくとも感情と効率性感情的な判断と合理的な判断がぶつかり合った時はぶつかり合って、なおかつ感情の方を押し殺す場合は、それがずっと続かないように気をつけるということですね

 

感情の方向を無視しているっていう事に自覚的になって、どこかでそれを表現する場を用意したらセンサーは壊れないと思います

残業した分あとで自分に何かご褒美をあげるとか、まあそう言ったことをやっていくのがいいのかなと思います

 

感情のセンサーが壊れている人は、やりたいとか好きとか、感動とかという喜怒哀楽とか、そういう気持ちを感じ取るセンサーが落ちているわけです

 

僕もやや壊れ気味です(笑)

 

まあもし壊れてしまった状態になったら、小さな自分の感情の動きとか、ちょっとでもやりたいと思った気持ちを見逃さないでやってみるのがいいかと思います

あとは嬉しい時は嬉しい、悲しいと思った時は悲しいと口に出してみたり

 

その場で出せないなら後で

ああ、あの時嬉しかったなと言ってみる

 

そういったことで自分の感情とかをアウトプットする訓練すれば、感情センサーは回復させられるのかなと

 

そいうことを思いました

 

あとは良い映画を見たり漫画を読んだり運動したりして、意識的に感情が動く機会を増やしてあげるといいかな

 

僕もここ数年やっていなかったゲームをやってみようと思います

 

センサーが壊れた人におすすめの本

↓「機械仕掛けの愛」という漫画です

まさに感情とか人間性とかをテーマにしてくれている内容なのでセンサー修復のリハビリによいかと思います

 

久しぶりに読んでみたい