「絵が上手くなりたい」という気持ちを因数分解

*この記事は高原のVoicy「◼︎218枚 「絵が上手くなりたい」を因数分解
」を参考に書かれています。

複雑なものを単純化したいのではないか

 

皆さんお疲れ様です

 

高原
高原

高原さと(@ART_takahara)です

 

今回は、

『絵が上手くなりたいということはどういうことなのか』

ということを因数分解してみたいと思います。

 

この『絵が上手くなりたい』っていうことを、多くの絵描きが思っていたりします。

また、絵描きが悩んでいる80%以上の問題は、

この『絵が上手くなりたい』問題な気がします。

 

僕も結構思うことがあります。

「絵が上手くなりたいなー」とか思いますね。

 

あと僕が入っているオンラインサロンの『アニメ私塾ネット村』というところがあるんですけど

そこでも悩み相談みたいなので多いのが、

『絵が上手くなりたい』と言うことに関する事ですね。

 

絵を描かない人はあんまり分からないかもしれないけど、その為に色々勉強したりします。

 

これは一体どういうことなのかという事を一度整理しようと思って、Voicyでしゃべってみようかなと思いました。

 

で、

結論から言うと、なぜ我々絵描きが

上手くなりたいと思うか、

どういうインセンティブ、モチベーション

があるのかって言うと、

『複雑なものを単純化したいんじゃないかな』

という風に思いました。

 

何か複雑なものが、

一つの単純化された答えになって、

それがシンプルに自分が理解できて納得できた時に、

人間は喜びとかを感じるんじゃないかな

と思ったんですよね。

 

どういうことかって言うと、絵が上手くなるって言うのは、

そもそもは絵を描くっていうことが何なのか考える必要があると思います。

 

絵っていうのは視覚的な情報ですから、

どういう構成要素で出来ているか

っていう風に考えた時に、

人間が目で見ているものは、

『光』

ですよね。

 

『光』っていうのは何かって言うと、

『色』

ですよね。

 

人間が感じ取れる可視光、赤の短い波長から紫の長い波長まで、

その間の可視光の色・光は感じ取れ、それを色として認識してます、ということですね。

その認識したものを、自分が手を動かすことによって、紙に書くということ、

何かしら見えているものを視覚的に表現する

って事が絵を描くということだと思うんですよね。

 

(紙なのかわかんないすけど、それは砂浜なのかもしれないし、壁なのかもしんないし、わかんないすけど、道具は色々あるし、それは状況によって違うんだけど。)

で、その見えているものってのは、現実で常に見えているかって言うと、そうでもない

 

何も見ずに描くってことも全然あります。

 

自分のインスピレーションとか

そこに感情を加えたりとか

キャラクターの絵を描くときにそのキャラクターが怒っている時は自分も怒って描くとか

そういう感情を載せるって事が更に重要なんじゃないか

と、そういう風にも考えられますよね。

 

そういう事を色々考えていった時に、絵を描く状況って色々あると思います。

でも共通しているのは、

『頭の中にあるものをその紙の上に表現する』

ということなんじゃないかなという気がするんですよね。

 

例えば、何か見て描く時って、

デッサンのように、美術の授業で石膏デッサンをする時なんかは

物を見ながら描く時でも、一度見たものっていうのは頭の中に入ってきますね。

 

目で見た後に、頭に入ってきて、それを手で描いている

って事なので、それは多分何も見ないで描いている時とほとんど同じな気がするんですよね。

 

僕が不思議だなと思うのは、

基本は何か頭の中の映像でも、モノを見ながら描く時もそうなんですけど、

何か映像をイメージしてるんですよね。

 

頭にはそれが必ず入っていると。

 

で、それを描いた時になぜ嬉しいか。

 

それがうまく描けるってどういうことなのかな?

っていうのが今回のテーマなんですよね。

 

で、面白いのが

「リアルに描けた時になぜ嬉しいと感じるか」

 

例えば石膏デッサンとかしてて、ものを見て描いた時に、

『そっくりに描けた』

って思って嬉しいって感じることがあるんですよ。

 

そこに結構『絵の本質』が隠れているんじゃないかなって思います。

 

上手く描くっていうことや、そっくりに描くっていうことが目的なのであれば、

最初から目の前に映像とか、描く対象物があるがあるわけだから、

本来描かなくてもいいはずです

 

描かなくていいはずなのになぜ、描いた後に満足感があるか?

あるいは、満足感がない場合とある場合は、どう違うか

 

ってとこが僕の中で面白いところなんですよね。

 

 

で、これは何も見ないで描く時も同じです。

 

何も見ないで描く時も結局、自分の頭の中にある感情とか、映像にしても、

それはすでに頭の中にあるから、それを描かなくてもいい、とも思えるんですよね。

 

で、描かなくてもいいのになぜ描くと満足するかって言うと、

『シンプルなひとつの形に収まったこと』

に満足感を得るんじゃないかなと思うんですよね。

 

 

じゃあここで別の角度から考えてみると、

描くってことが大事なのであれば、文字で書いたらだめなのかと、

目の前の石膏像を見たときに、

「石膏」

 

「人」

「おじさん」

っていう風に文字で書くのと、絵で描くのは何が違うかって言う事を考えてみる

 

それはきっと、言葉で描くと情報が足りないんだと思うんですよね。

それだと自分が見えている頭の中を再現したことにならない気がするんですよ(と描き手は思うのかな)

 

だからゴールとしては、自分の頭の中のぐちゃぐちゃしている状態が

シンプルに、

自分が見てたものはこれだった」

「自分が表現したかったものはこれだった」

 

という事を一つの形に収められた時に、そこが楽しいんじゃないかなと思うんですよ。

逆に

うまく絵が描けないっていうことはどういうことかって言うと、

それがずれている。

 

「(自分が見ているものと)何か違うなー」

とか、

「何か(イメージと)違うなー」とか

 

つまり問題は

ズバリこれ!」という一つの形になって無い、といういことなんじゃないかと

 

っていうのが『絵が上手く描けて無い』ってことな気がするんですね。

 

ここで

写真との違いは何かって考えると、

 

写真は頭の中の映像を出すことはできないんだけど、

見えている世界をひとつ写真として、収めることはできるんですね。

 

じゃあそこで絵とどういう違いがあるかって考えます。

 

確かに写真でも、見ている世界を切り取れるんだけど、

そこに自分の

『理解』

とか

『納得』

とかが写真の中入れにくいんですね(写真が上手い人はできるのかも)

 

写真が下手な人でもとりあえず撮れる。

 

だけど絵の場合はそれを手で描くときに、一個一個、

輪郭を描いて、

頭を描いて、

足描いて、

と、部分的にパーツを描いて一個ずつ書いていかなきゃいけない。

 

だから瞬間を切り取ることはできないし、

瞬間的な美しさみたいな表現はしにくい

 

だけど絵の場合はその代わり、一個一個分解して描かないといけないんですね。

そうやって考えると、『一回分解する』ってことも大事なのかもしれない。

 

描くときはどの題材でも一気に描くってことできないんで、

『一個ずつ順番に』書いていかなきゃいけないと思うんですね。

 

鉛筆で描くにしてもそうだと思うんですよ。

 

だから一回分解してみる

 

解剖学に分解したりとか、

筋肉で考えたりとか、

もしくは色で考えたりとか、

 

いろんな要素に分解して一個ずつ描いていく。

 

それらの分解したパーツを、最終的に一つのシンプルな形に置き換えると。

シンプルな一枚の絵っていう答えにすると。

 

それが「上手く描く」ということなんじゃないかな

 

現実で見えているもの(もしくは頭で見えたもの)と相違ないか

 

そこで

「これが俺が見ていたものだ」

「感じていたことだ」

「イメージしていたものだ」

っていう風に自分の中に納得ができると、そこで喜びを感じるっていう気がするんですよね。

 

その考えでいくと、

『絵が上手くなる』って言うのは、

自分が見えている世界とか、

頭の中のものとかを

 

寸分違わず一つの形に収めること

 

それが絵が上手くなりたいっていうことの本質的な部分なのかなということを考えました。

 

自分なりの答えを探すのが楽しい

 

絵の場合は視覚的なものなので、

複雑なものを単純に置き換える、

ということはあくまでも視覚的なイメージでやらないといけない

 

これが絵の大事なとこだと思ってます。

 

で、

この複雑なものを単純にしたいって事は、かなり人間の本質的な欲求なんじゃないかな

という気がするんですよね。

 

絵描きはそれを絵でやってるんですけど、

例えば哲学者はそれを言葉でやろうとしてて、

もしくは物理学者とかはそれを数式で表現しようとする、

っていうことじゃないかなって気がするんですよ。

 

それがなんか、

「我思う故に我あり」とか

そういうシンプルな言葉で、

人間って一言で表現したりとか

 

自分っていうもの一言で表現する

 

もしくは

「地球は丸いんだ」とか

 

ちょっと哲学的な話になりますけど、

さっきの絵を描くっていうところも、

自分が絵を描かなくても、世の中に美しいものとか綺麗なものがいっぱいあるわけですよ。

 

で、

しかも例えば、美しい風景を見ながらスケッチするっていうのは、

美しい風景が目の前にあるんだから、それを描かなくても、本来良いと思うんですね。

 

それを描くっていうのは、

それを自分のものにすると言うか、

自分でしっかりと理解したいということ

 

まず分解して、

理解して、

最終的に一つの形に落とし込む、

と。

 

それを自分の見ている美しい風景と重ねた時に、

『これが俺の見ていた世界なんだな』

っていうのに納得感を持ちたいんじゃないかな、

という気がしますね。

 

そうそう、

ちょっとレオナルド・ダ・ヴィンチの話をします。

 

僕そんなに詳しくはないですけど、

ダ・ヴィンチさんは、いろんな分野で活躍してたらしいじゃないですか。

 

天文学とかも詳しかったらしいし、

絵ももちろんめちゃくちゃ上手くて、

彫刻もめちゃくちゃ上手で、

物理学とかもやってて、

僕そのぐらいしか知らないですが。

 

いろんなことができたということなんだけど、

それらは実は最終的なアウトプットの方法が、

言葉で単純化するのか、

数式で単純化するのか、

それともビジュアルで視覚的に単純化するのか。

 

で、その最終的な手段が違うだけで、途中までの工程はすべて同じなんじゃないかとも思えますね

 

複雑なものを1回分析して分解して、そこに共通点がないか探していて、

一つの形にすると。

 

それを

絵にするとか、

彫刻にするとか、

数式にする

っていうことをやっていたんじゃないかなと思うんですよね。

 

つまり、

ダ・ヴィンチは一つの事しかやってなかった。

 

一つのことだけをやっていれば良くて、最終的なところだけちょっと変えた、

とか、

いろんなものが一つの一つに見えたんじゃないかなと思ったんですね。

 

まさにシンプルなものとして捉えいてた。

 

世界の仕組みを一つの物事としてとらえようとしていたから、

結果的にいろんな分野にも繋がっていった、

っていうようなことなのかなって思っています。

(ダヴィンチの話終わり)

 

で、だいぶ話が逸れていますけど、

『人間は複雑なものシンプルにしたいという欲求があるんじゃないか』

ということが、「絵が上手くなりたい」から見えてきました

 

仮にそうだとすると

「『人を動かす』ためには、

『単純な答えを与える』

っていうことが有効なんじゃないか?」

 

そんな仮説が出てくるんですけど、

これ結構正しい気がするんですよね。

 

要は、何か一つのシンプルな答えを出した方が、人間を動かすことができる。

 

でも、その本来複雑なものは簡単に単純化できないですよ、

なんだけど、そこを断言してしまう

 

そうすると、結構ある程度の割合の人は動かせる気がします。

 

例えば、

フリーランスVS会社員

で考えてみます

実際にはこの二択で考えることがまず間違っていますね。

 

なんだけど、

そこで会社員を辞めてフリーランスになれ、

っていう風に言ってみると、それによって動く人って割と出てくるのかなって思うんですね。

 

自分なりの働き方とか

生き方ってこういうものだ、

っていうものを探し求めている人は、

絵が上手くなりたいって思っている人と同じで、

自分で道を見つけていけると思うんですね。

 

だけど自分でも探し求めた答えじゃなくて、

人から聞いた答えをそのまま使ってしまうっていう人は、

まあまあいるのかなって気がするんですよ。

 

それが何でなのかな?って昔から思っていたんだけど、

それは一つ、絵が上手くなりたいっていう欲求と似てる気がします

 

つまり単純な答えが欲しいと

 

本来それにたどり着くのってすごい大変なんですね

それこそダヴィンチ並の能力がいるのかもしれん

 

それだと大変だから

人から聞いたこと

周りから聞いたこと

本で読んだこと

とかを、簡単に信じ込みやすい気はしますね。

 

そこは僕も気をつけないといけないな、と思っているし、

 

逆にインフルエンサーみたいな感じのポジションの人達は、

そういうことに長けている

 

人を動かすのが上手いですね

「フリーランスになれ」

とかはわかりやすい

 

あとは

保険には入るな」

って言ってみたりとか、

「ジョギングしろ」

とか、

 

とにかくシンプルな答えを言っとけば、一定層には必ず刺さる、

ということがあると思うんです。

 

ただ、実際言っている人たちも本気でそれを思って言ってないんですよね。

 

絵が上手い人に

「どうやったら絵が上手くなりたいですか?って聞くことあると思います。

僕もめっちゃ聞かれます。

 

だけどそれ

高原
高原

こっちが教えて欲しいよ」

 

 

って感じなんですよね。

 

本当は僕もわかんないし答えられないんですよね。

 

だけどそれだと人を動かしたりとか、

何か物を売ったりする時に都合が悪いから、

とりあえず何か断言するってことだと思うんですよね。

 

まずはデッサンやれとか、

美大には行くなとか、

 

なんかそういうシンプルな一つの答えを言っとくと、

割と人を動かしやすいのかな、

ということは今回思いましたね。

 

もう一個考えたのが、

もし僕が、絵画教室を仮に開くとします。

 

その絵画教室でどういう風にすると成功するかとか、

お金が儲かるかってことを考えます。

 

すると、絵画教室に入ってきてくれた生徒たちが、

『絵が上手くなる』ってことがゴールだと思うんです。

 

それでいくと、

「自分なりの答え見つけられた(と本人が思った)」

って体験がすごく大事になってくるんですよ。

 

そうするとね、モチーフは結構シンプルなものにした方がいいな

と、思いましたね。

 

要するに、

普段見慣れているものとか、

自分がよく見ているものを描いた方が、

 

そこに自分なりの発見とかを見つけた時の感動が大きい気がする。

 

普段見慣れてないものを書くと、

見慣れてないから見ているだけでも割と楽しくなっちゃうし、

描くことに対するインセンティブがあまりない気がするんですね。

 

だって見てるだけでも楽しいんだから

 

その子が持っている筆箱とか、

生徒が持ってきたものとか、

自分の手とか、

そういう見慣れたものとかの一部分を書かせて、

それをリアルに描くやり方だけ教える。

 

で、一枚の絵を描くことで得られた発見や、納得感を味わってもらう。

 

そうすると絵が上手くなるっていう事が楽しい事って分かるから、

その生徒は上手くなるかもしんないなと思いました。

 

 

 

はい

 

今回のお話はこんな感じです

大分グダグダしましたね

 

またそのうち絵のテクニックの話もしたいです

 

ではではまた

 

*この記事は高原のVoicy「◼︎218枚 「絵が上手くなりたい」を因数分解
」を参考に書かれています。