【絵が上手くなるの?】デッサンって言葉はよくわからないよね

*この記事は高原のVoicy「◼︎46枚 デッサンという言葉は廃止した方がいい」を参考に書かれています。
◼︎46枚 デッサンという言葉は廃止した方がいい(2018年8月8日放送)/ Voicy - 今日を彩るボイスメディア
絵描きをやってる高原です フリーランスとして映画やゲームなどでコンセプトアートを描いてます 絵描きの視点で、フリーランスの働き方や稼ぎ方、生き方、考え方などについて語るラジオです 絵の技術的な話はあまりしません これまで関わった作品とか ・ゲーム→ソニックレーシング、北斗が如く、VRZone、 ・映画→バイ...

 

 

意味がはっきりしないわりに重要視されてるよね

 

皆さんお疲れ様です

 

高原
高原

高原さと(@ART_takahara)です

 

今日はですね、デッサンという言葉が、日本の絵描きを不幸にしているんじゃないか、っていうようなお話をしたいと思います。

 

これは、僕が前からずっと考えていたことで、すごく重要なことなんですけど。

 

何故、今までこの話をしなかったんだ、っていうことをふと思ったので、今回改めて改めてお話ししたいな、というふうに思います。

 

僕的には、

デッサンという言葉は廃止した方がいい、もしくは少なくとも使わない方がいい

、というふうに思います。

 

なぜ使わない方がいいかって言うと、非常に解釈が曖昧な言葉なんですよ。

 

で、例えば絵が上手くなるにはどうすればいいかってなった時の練習法としてのデッサンをやるとか

 

あと、さらに分かりにくいのが、デッサン力っていうすごく曖昧な言葉が巷に横行しておりまして。

 

これを美術の学校の先生、絵、イラストの専門学校の先生とか、プロの絵描きやら、素人までも使うというような、すごく面倒な状況になっているんですけど、

 

このデッサンっていう言葉を正確に説明している人があんまりいないんですよね。

 

僕もあまり詳しくないんですが、デッサンて言葉は元々フランス語らしいんですよ

 

ということは、輸入してきた言葉なんですよね。

 

で、本来であれば、言語を輸入してきた時に、きちんと日本語に訳すべきなんですよ。

 

それを訳さずに、デッサンっていう言葉をそのまま使っているから、すごく訳の分からない状態になっているんですね。

 

で、そのデッサンっていう言葉を使うんだったら、きちんとデッサンの意味を定義する必要があるんですけど、

 

残念なことに、人によってかなり定義が違う

 

ただ単に

鉛筆でものを見ながらそっくりに描く

、という風に思っていたりとか、

 

はたまた、

違和感に気づく力だとか、物の関係性を描くんだとか、光と影でものを描くんだとか、面で書くんだとか

 

いやいや、

描く力じゃなく観察力のことだとか

 

いろんなこと言ってるわけなんですよ

 

ちょっとググってみると案の定、みんな言ってることがバラバラなんですよ。

 

もちろん何個かのパターンに分けられるんですけど、絵描きの分野にもよって言ってることが違くて。

 

一応wikipediaによると

 

素描(そびょう、すがき)、デッサンフランス語dessin)、ドローイング英語drawing)とは、物体の形体、明暗などを平面に描画する美術制作技法、過程、あるいは作品のこと。これに準ずるものを指す場合もある[1]。 (wikipedia 「素描」より引用)

 

高原
高原

うーん?なんのこっちゃ

 

 

 

 

特にこれが悪い状況に働く時があって、

 

それが、例えば

デッサンからやり直した方がいい

、という風に言われたりってことです

 

例えば、学校で、生徒とかが作品見てくださいっていた時に、

デッサンをもっとやった方がいいとか、デッサン力をつけたほうがいいということを本当に本気で言ってる先生がいるんですよ

 

そういうこと言う先生からはもう教わらない方がいいと思うんですよね。

 

なぜそんな曖昧な言葉を、言葉の意味を知らないであろう相手に使うんだい

しかもそれが絵で一番大事なことだとか言ってるわけですよ

 

高原
高原

一番大事なことなら自分の言葉できちんと説明しろ

、っていうことなんですよね。

 

僕の感覚ですけど、僕がデッサンについて納得できるのは

「物を観察する力」というか、ものを見る力のことだと思うんですよね。

前にも人間は物をあまり見てないという話をしたんですけど。

 

デッサンをやることで、物を見る力が養われるので。

 

 

資料を見る見方が変わったりとか、普段から物を見てる時に、その情報を多面的に見ることができたりとか、

自分の絵を見直した時に違和感に気がつくことができるっていう様な、ものを見る力であるっていうことだと思うんです。

 

描くっていうことよりも、さらに上に、ものを見るっていうさらに普遍的なところにあるから、デッサンが一番大事だっていう風に言われている

高原
高原

というふうに僕は理解しているんですけど。

 

こういう風に説明してる人ってほとんどいないんですよ。

 

もちろん僕と解釈が違う人がいてもいいし、デッサンっていう鉛筆で対象を見ながら描くっていう行為自体を僕は否定してるわけじゃなくて

 

それ自体は練習法としてすごく良い方法だと思いますし、良い方向に働く時もあるんですけど。

 

それをやるときに、漠然と

デッサン力(?)をつけるためだとか、デッサンやれば絵がうまくなる、という風に教えるのが間違ってると僕は思うんですね。

 

生徒とかが絵を見てくださいっていた時に、デッサンが狂ってるからっていう風に言っちゃいけないんですよ。

 

どこがおかしいのかというのをちゃんと指摘しないといけないんですよ。

 

それは解剖学的におかしいのか、造形的な面の取り方がおかしいのか、面っていうのは何なのか

はたまた絵的な陰影のつけ方がおかしいのか、全体のコントラスト、白と黒のバランスがおかしいのかとか

 

そういったことをちゃんと説明するべきなんですよ。

 

で、デッサンが狂ってるっていう言葉も、マジでその言葉が狂ってるぞって思うんですけどね

 

 

僕も実際言われることもあるし、そういう時は聞き返すようにしてるんですけど

 

高原
高原

どこがどうが変なんですか?

 

デッサンが狂ってるっていうよりは、違和感があるっていう風に言うほうがしっくりきます

 

どこに違和感があるのか、どこが解剖学的におかしいって指摘するべきだと思うんですよ。

 

あと、さらに問題なのは、学生とか初心者の人が、デッサンが狂ってるとか、デッサンした方がいいとか、デッサン力つけた方がいいと言われてしまうと、

 

悩子
悩子

デッサン(鉛筆でモノを見て描く)をすれば、上手くなれるんや!

 

っていう風に思い込んじゃうことがある

 

ていうのが良くないんですね。

 

実際には、解剖学的な骨や筋肉の構造とか、造形的な形の作り方を勉強しないと解決しないことも多いと思います

 

もし僕が絵の先生をしていて、他人の絵の違和感がある部分を指摘するなら

解剖学的にその上半身の下半身のバランスが分かってない

とか、骨盤の付き方、骨盤の前傾後傾を理解してないとか、

 

骨盤の角度が変わるっていうことは理解できてないねとか、関節の位置がわかってないね、ここがこうなってるんだよとか、ということを指摘して、

 

こういう解剖学の本があるから、それを読んで勉強をしながら

 

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それでデッサンを、鉛筆でもいいから描いて、観察力を身につけたらどうかな

 

という風に指摘するのはいいと思うんですけど

 

漠然とデッサンをやれば解決するような問題じゃない時にも

デッサン力をつけろ、とかデッサンしたほうがいいっていう風に指摘していることが多いように僕は見えたんですね。

 

 

これに対して

デッサンていうのはこういうもんだよ本当は、お前間違っている、みたいなことを言ってくる人がいるかもしれないんですけど

そもそも人によって大きく解釈が違う言葉は使わない方がいいんですよ

 

しかも、それがどうでもいい言葉だったらいいですよ

だけど

デッサンが一番大事なもの

だとか言ってるじゃないですか

 

一番大事なものなら、解釈がぶれないようないような、ちゃんとした日本語に訳せっていうことなんですよ。

 

だから、それができるまではデッサンという言葉は使わない方がいいと思いますね。

 

だから、美大の入試の制度とかも変えた方がいいですね

評価評価基準とかも分かりづらいじゃないすか

 

漠然とデッサンで評価してるって、何を見てるのかっていうところがわかりづらいじゃないですか

 

本当は、学科によって見るべきポイントとか違うはずなんです

まあ僕も詳しくは分からないですけど、美大の受験とか、僕したことないんで

 

造形を見たいのか、色で見て欲しいのか 、シルエットとかも、形が正確に取れているかっていう所を見たいのか

そーいうところをきちんと評価項目に出して、それを試験に課すべきだと思うんですね。

 

漠然と、とりあえずデッサンやろうぜみたいな感じで、よくわからないまま鉛筆を動かしてるっていうのは、すごく悪い状態じゃないかなっていうふうに思うので、

 

デッサンという言葉は、基本使わない方がいいし、デッサン力をつけろとか、デッサンが狂ってるっていう風に指摘するしてくる人はちょっとズレてるかなーって感じです

 

 

訓練としての鉛筆デッサンは必ずしも必要ない

 

で、今回のデッサンっていうテーマに対して、色んな不確かな情報とかもいろいろ見てみました

(このブログも相当不確かなので、ぜひ信じないでください)

 

まあブログとかも見ながら自分の考えに近い人がいるかなというのを探してみたんですけど、

一人、なるほどなと言うか、同じような考え方の人がいたので、その人の考えを引用させていただくと

 

デッサンラボラトリーっていうブログに、「デッサンとは?」という項目があったんで、それを見てそこからちょっと引用させていただくと、

 

現代のフランス後、美術用語から考えると、「デッサン」という言葉は広い意味では「絵全般」を指し、狭く見ても線で描くものを意味しています。

それからすると、日本人が頭に思い浮かべる「デッサン」は少し偏っています。

製図は目の前のものを見て描くわけではありません。

また、細部を描き込むという意味も、基本という意味もありません。

辞書では実際に線を残すという物理的な現象を指しているので、本質を捉える、という目に見えないことを扱っているわけでもありません。

「デッサン」に対するこの余分なイメージは、「侍」に例えることができます。

「侍」という武士一般、いわば職業名に対して、「強い精神を持つ格の高い人物」という意味をつけ加えている。

まさに「デッサン」もそのような状態です。

本来「デッサン」とは様々な「絵・画」を意味します。

すると、「デッサンは必要ですか?」というのは「絵を描くことが必要ですか?」となります。

当然、絵を描くのがうまくなりたければ、実際に絵を描くことは必須です。

しかし、私の経験から、「デッサンは必要ですか?」という問いには「受験生が描いているようなデッサンができる必要はありますか?」という意味が含まれています。

日本人の「デッサン」に対するイメージが原因です。そしてそれならば、答えは「必要ない」となります。

絵を描くために必要なのは、線で輪郭、立体、陰影などを示す力です。

これを習得するスタイルは一つではなく、受験生のデッサンスタイルはその中の1つにすぎません。

それらの力がつくのであれば他のスタイルでも大丈夫です。

当サイトでは、19世紀のフランスで行われたデッサンの理論なども参考にしています。(デッサンラボラトリー「デッサンとは?本来の意味とのギャップ」より引用)

デッサンとは?本来の意味とのギャップ
DESSIN LABORATORYはデッサンの理論と技術を研究し、その情報を公開してます。デッサンで使用する基本的な道具の扱いから、描画や観察の技術までを扱っています。文章化が難しいデッサンの様態を明らかにすることを理念としています。

 

というようなことが書かれていて、これは、僕がかなり納得できる答えだなって思うんですね

 

僕が見た感じデッサンが狂ってない状態っていうのは、バランスが取れている状態、違和感がない状態というような感じだと思うんですよ。

 

で、デッサン力っていうのも非常に曖昧でよくわからないですよね

 

なんなんだろうと思っちゃうんです

 

そしてこの方も指摘されている通り、僕も同じ意見で、

 

デッサンは、一つの訓練手法として有効だと思うんですよ

 

表面的な、鉛筆でものを見ながら描くっていう意味のデッサンは必ずしも必要ない、っていう風に僕も思いますね。

 

ただし本質的な意味の デッサン、上記のデッサンラボラトリーってブログで指摘されているような、ものを見る力とか、根本的な部分のデッサン的能力は伸ばす必要があるんですよ。

 

 

要は、現実的なものを見る力っていうのは伸ばす必要があります

 

逆に、受験とかでやる鉛筆でものを見ながら描くっていうんデッサンは、練習方法の一つだから、必ずしもやる必要はないていう風に僕は思っていますね。

 

実際、やらずにプロとして活躍されて、すごい上手くなっている方もいっぱいいらっしゃいますね

 

ただそういう人たちが、デッサン力っていう曖昧な言い方をしますけど、デッサン力的な能力がないかって言うとそうじゃないんですよ

 

それは模写だったりとか、日々の生活の中での観察だったりとか、自分自身の絵を描いている、自分の漫画とかイラストとかを描いているうちに

 

訓練手法が違うけど、それに準ずる能力似たような能力が身につけられてると思うんですよね

 

だから、デッサンっていう訓練手法、鉛筆や木炭でものを見ながら書く、という手法は必ずしもそれを伸ばすためのに必要なものじゃない

 

デッサン、(美大生がやるような実際に鉛筆でものを見ながら描く)っていう行為をやる、って言うのは対処法の一つに過ぎないんですね

 

一つにすぎないどころか、美大生がやってるようなデッサンは、が僕が見た感じ、対処法としては不適切な場合が多い気がするんですよ

 

さっきも言ったように、デッサンが狂ってるっていう風に指摘された場合って、ほとんどの場合はデッサンやるんじゃなくて、解剖学や、形の作り方の勉強をした方がいいんですよ

 

だって、デッサンで石膏とかをリアルに描けるようになったから、解剖学の知識をもってある程度人物を描く練習をしなかったら、バランスよくは描けないですから

 

体のバランスとか、人体の比率がどうなっているとかって、自分で調べて知識としてないと絶対にわかんないと思うんですよ

 

まあ僕も人物画に明るいわけじゃないんですが

自分自身が人体のバランスとかの間違いを指摘されて、解剖学的なことを調べて比率が直したりするんですけど

 

でも解剖学的に違和感がある、体のバランスとか関節部分に違和感がある状態で、なぜ

デッサンをやれ

って言葉が出てくるのか、僕には全く理解できないんですよ

 

それは対処法として 遠回りだと思うんですよね

本質的に観察力や、ものを見る力をつけた方がいいから、デッサン(鉛筆でモノを見ながら描く)「も」やった方がいいよっていうならまだ分かるんですけど

 

でもすぐに絵の問題を直すんだったら、今すぐ解剖学の本とかを調べて体の比率とかを確認して、それを見ながら自分の絵と見比べて 直した方がいい場合が多いです

 

石膏とか静物画とかをやっても、イラストの人体のバランスは直せません

 

 

デッサンが、デッサンが、っていう人は、絵について知ってる風なことを言いたいだけだと思うんですよ

 

デッサンやり直せ、とかデッサン力をつけろとか、デッサンが狂ってるとか

 

私知ってますよ、絵について知ってますよ

っていう風なことを言いたいだけで。

 

そういう人の言うことは本当に聞かない方がいいですね

 

デッサン力がないねとか、デッサンもっとやった方がいいよっていわれた時には

 

悩子
悩子

具体的に何をどう勉強すればいいんですかね?

 

って聞いてみたらいいと思うんですよね。

 

で、それで

いやいや、そんなもんデッサンやっていけばわかるから

みたいなこと言われたら、そいつの言うことはスルーしろと

そういう感じがしますね

 

あとはそうですね、本質的な観察の能力を伸ばすっていう目的でも、鉛筆デッサンっでそれを伸ばすってていうのは結構難しいんじゃないかなって思うんですね。

 

絵を描き始めたばっかりの人がそれをやって、果たしてその一番大事で難しい部分が伸びるかって言うと、結構びみょー

 

美大生がやってるようなデッサンってめっちゃ時間がかかるんですよ

描くのに12時間とかかかる

そして何年もかかって勉強したりとかするじゃないですか

 

それを絵を描き始めた人に、一番最初にやれっていうのは果たして正しいのか、っていう風に思っちゃいますけどね

 

どうですかね皆さん

 

なので、デッサンていうのはいったん忘れた方がいいんじゃないかなって思いますね

 

とりあえずしばらく好きなものを描く

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で、しばらくしたら、あ、そういえば、あれってなんだったんだっけ

っていうこと改めて考えてみて

 

きっとこういうことじゃないかな、

というの自分なりに言葉で定義してみるしかないと思いますね

 

 

 

はい、そんな感じですかね。

よくわからない言葉に気をつけたい

 

 

今回はですね、デッサンという言葉に対して、僕が常日頃から思っていた疑問と言うか、そういったものについてお話ししてみました

 

やっぱり、よくわからない言葉っていうのは気を付けた方がいいですよね

 

よく分からない言葉を使っている人とかは、結局、誰かが大事だと言ったから大事だと思ってるんですよ

 

デッサンが漠然と大事だと思ってる人,漠然とデッサン力とかなんとか言ってる人っていうのは、デッサンが大事だって誰かが言ってたから、そう思い込んでるだけです

 

要するに、何が大事なのか分かってないんですよ

 

そういう人の話は聞かない方がいいと思うんですね

 

 

ただ、これにはやむを得ない面もないではなくって

 

僕は日本語の柔軟なところが好きでもあるんですけど、その悪い部分が出てるなとも思うんですよね

 

これは、僕が言い出した話ではもちろんないんですけど、日本語って音で輸入できるじゃないですか。

デッサンとかもそうですし

 

和製英語って言うんですかね、デッサンはフランス語みたいですけど

 

スケッチとかクロッキーとか

 

あとはオポチュニティー?とかライティングとか

文字にすると大分英語の発音と違いそうです

 

こういうのは本来は日本語に訳さなければいけないはずなんですよ

 

よその国から概念とか言葉を輸入してきたりする時に、本来それは自国の言語に訳さないといけないんですけど

 

すごくそれは手間

だからマイナー言語の国では、普通はきっと英語を勉強するんでしょうね

 

CG業界とかだと、めっちゃ横文字が飛び交ってます

 

モデリング、リトポ、リギング、ルックディベロップメント

とか

 

もう普通の人はまずわからない

 

 

本来これらは英語ないし、本来の言語で学ぶべきであると思います

 

日本語は、それをかなり専門的な部分まで横文字のまんま輸入できちゃうんですね

 

これは、英語とか海外の言語に親しみのある、多様性がある国っていう風にもとれるし、それでいろんな文化が形成されているっていうふうにも思うんですけど

 

ただ、やっぱり曖昧なまま使ってしまいがちですよね、どうしても

 

ちょっと元の資料がなんだったか忘れましたが、まえに日本人が英語が下手な理由として、プログラマーかなんか人がブログで書いてた話で

 

普通、専門的な知識を勉強しようとしたら、ある程度のとこまで行くと英語じゃない自国の言語だとそれを表現する言葉がなくなる、みたいなことを聞いたんですよ

翻訳されてない概念ややり方が出てくる

 

そういう概念とか言葉がないから、

悩子
悩子

それじゃあ、もう英語で勉強するしかないよね

それで英語について勉強できるらしいんですけど

 

日本の場合は横文字のまま輸入できてしまうし、しかもそれがある程度専門的なところまで日本語として学べちゃう

曖昧さは残りますけど、とりあえずなんとなくの意味は分かる

みたいな状態でやるんで、英語やんなくていいよねっていうことになっちゃう

、という話を聞いたんですよね

 

 

そうかそうかと思ったんですけど。

 

 

デッサンの話に戻ると、大事なとこまで横文字を使っているせいで

 

デッサンは一番大事だよね!!

っていう風に謳いながら、使ってる本人たちも意味がわかってない

なのにお互い同じ意味で使っていると思い込んでいる

 

誰もはっきりした意味を定義 ていないから、それを聞いた絵を書き始めた人だったりとか、学生とかが勘違いをして混乱を生む原因になってる

 

それで指示が不明確になったりとかもするんですよね

 

さすがに仕事で、デッサンが狂ってますっていう頭の悪い指摘をする人はいないと思うんですけど

そういう人ももしかしたら出てくるかもしんないっていうことなんですよね

 

 

状況によって意味が変わるものだと思うんですよ、今の時点では

 

もうしょうがないですね

これはもう、僕も含めて、色んな人が好き勝手な事言ってるんで、仕方ないと思うんですけ

 

仮に状況によって意味が変わるんだとしたら、 じゃあ、今の状況ではデッサンという言葉はどういう意味で使ってるのか

 

って言うことをちゃんと相手に伝えるべきだと思うんですよね

 

人体の解剖学的なバランスがおかしいのか

色なのか、面や稜線なのか、とか

 

 

ということを、具体的に指摘してあげないといけないんですよ。

 

指摘できない人も、まあ、しょうがないけどいるんですよ

 

デッサンが漠然と大事だと思っちゃってる人はいるんで

 

そういう人たちには仕方ないから、学ぶ側から、デッサンって具体的にどういうことをやればいいんですかねって言うことを聞くと良いです

 

 

で、

もし鉛筆で物を見ながら書くんだよ

っていう風に言ってきたら

高原
高原

それどういう効果があるんですかね

って聞いてみたらいいんですよね

 

ちゃんと感覚で理解してる人だったら

ものをよく観察できるようになるんじゃないかな

 

とかと思うんですね

 

もしくは色の違いが見えるようになってくるとか、はたまたその面が取れるようになってくるんだとか

 

複数の面を複雑じゃなくてシンプルに捉えられるようになるよ、とかそういうような気持ちで書いたらいいよ、とか

 

とにかく具体的に答えてくれるはずです

 

そういう風に指摘してくれるようにこちらから質問をかける、というような感じでしたらいいかなという風に思うんで

 

 

まあデッサンという言葉、厄介なものですね

 

なので、僕は、この言葉は綺麗さっぱり忘れるべきだというふうに思います

実際僕は、仕事でもほとんど意識していません

 

見る力っていうので十分だと思います

 

はい

 

という提案を今回はしてみました

 

ではではまた

 

高原さと

 

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